KIRACO(きらこ)

今年の私

 千葉の京成ホテルミラマーレに行って、一人原稿用紙にペンを走らせる。
 いまだ私は自分では書かずに、ゴーストライターをやとって書かせていると言っている方がいらっしゃると聞くが、そんな事はない。エッセイであれ小説であれ、きちんと自分で書いている。
 ただ、朝から夜まで出歩いている私だもの。
 そう思われても仕方ないかな?なんてあきらめも少しはある。書くのは、真夜中か、あとは、あいている時間はいつもペンを走らせている。ミラマーレ・ホテルの一階は少しでも時間があると、私の原稿を書く場所だ。
 今日は、久し振り一時間、時間があいたので珍しく窓際の席に座り、合間にコーヒーをすすりながら、ひたすら書いていた。
 少し手がくたびれたので、カーテン越しに外を眺めた。行き交う人々はまだオーバーをきたり、マスクをしたりしているが、何処か春のやさしい気配が街全体に満ちわたっている気がする。そう言えば、もう立春を過ぎたんだものなあ。もうすぐ春がくるんだ。ちぢこまってないで元気をださなきゃと自分に活を入れて再び原稿用紙に取り組んでいく私だ。才能があるとか、上手だとか一切思った事のない私だけれど、書く上では、何一つ苦労をしたことはない。
 テーマが決まりさえすれば、原稿用紙にペンをおくと、勝手にスラスラペンが文章をつづってくれる。これは自分でもとっても不思議な現象に感じるのだけれどホントの話だ。
 今はほとんどがパソコン打ちだし、その前は、ワープロという時代もあった。もちろん、必要上、私も仕方なく両方に挑戦してみたのだが、覚え切れない点もあるがそれ以上に、何故だろう、手書きの方が自分の思いのままの文章が表現出来るように思えてならないのだ。だから、現在も手で書いている。それをその時に応じて、きちんとパソコンに打って下さる方にお願いして、入力してもらっている。有名作家の方の中にも、手書きが一番とおっしゃる方がおいでだと耳にし、嬉しかったし、安心もした。何一つ書くための勉強をしないままに、エッセイや小説を書くようになった私だが、いつのまにか本も十四冊かな?出している。エッセイの本と小説本と半々というところなか?
 でも私はエッセイより本当は小説を書く方がずっと、ずっと好き。ショート・ショート・ストーリーを書くのも楽しいが、長編小説を書くのも好きだ。あれこれ想像をめぐらしながら、書き進めているうちに思わぬ人物や場所が出現するのは、自分でもビックリしてしまう場合がある。ただし私は空想だけでは書かないように気にかけている。
 体験は全部できないけど、人の話はよく聞くし、時にはお座敷遊びもする。子供も孫もいない私にとって、「ラウンジ・夢子」を開いてみてたった一つよかったと思うのは、若い女の子の生の話が聞けるからだ。夢子で務めてくれている女の子は、みんないい子ばかりだ。
 店のひまな日、彼女たちがおしゃべりしているのを聞いていると楽しい。若い娘達の考え方、話し言葉、服装、みんなそのまま小説の中で使えそうだ。
 それに私は、私の店で働いてくれている間は、実の娘と思っている。それにホントに可愛い。年齢はまちまちだが、皆独身。絶対に良き結婚をしてもらって、寿退社して欲しいものだと願っている。もともとお芝居や音楽会に出かけるのが好きな私が忙しさに追われ、出かける時間がなかった。
 それが、去年から店の娘達が喜んでくれるので一緒に出かける事が多くなった。やはり面白い。自分でも企画、プロデュースして、演劇を上演したり、音楽会をやってもいるのだが、観る方だけでいるというのは、なんと素晴らしいんだろうというのが、実感だ。今年もすでにいくつかチケット申込みしてある。
 私は本が十冊以上出た時点でも、まったくの一匹狼で、会には所属していなかった。いずれどこかに入るなら「ペン・クラブ」にするかと考えていた時、学校の先輩だった、高木敏子さんが、「文芸家協会」になさいと電話を下さった。彼女は『ガラスのうさぎ』という本で大ヒットを飛ばした人だ。
 「春の審査」「秋の審査」と二回審査があり、それで合格すれば、お二方の推薦がついて「文芸家協会」の会員になれるのだそうだ。選考委員の先生方全員に読んで頂く本さえ手元になかった私は、「あんた、それでも物書―。」と高木氏にあきれられた。何とか本を揃えて、審査を受けた結果、私は晴れて、「作家部門」の会員として認められた。
 今年は、まじめにどんどん書いていこう。小説もエッセイも。合間にお芝居も観て。優雅な一年にしたいな。