KIRACO(きらこ)

Vol137 平成の終わりに

2019年7月2日

一鶴遺産

平成の終わりに

3月3日、浅草・木馬亭で久々の講談会を開催した。浅草を舞台にしたお芝居が評判の劇団「にんげん座」。主宰の飯田一雄さんがご来会。同劇団公演には、演芸ゲストとして出演させて頂いた事もあり、飯田先生には、「田辺一鶴お別れ会」の際、亡き師の逸話をご披露頂いた。今の師匠の宝井琴梅とも交流があり、師弟共々にご縁が。木馬亭公演から数日、拙宅へのお便りに、「すばらしい出来でした。鮮やかな緩急自在のわざを目の前に、私は息をのみました。話の中味がぐんと迫って、読みおわったあとの、なんと清々しい幸福感がいっぱいになりました。」とあった。昭和34年、松竹演芸場の軽演劇劇団の文芸部員を皮切りに、浅草の街と芸を見続けてきた先生のお褒めのお言葉は、浅草の芸人の端くれに、ほんの少しだけ近づけたのかも?と、何よりの励みとなった。
 住まいをする江戸川区平井からもお客様が。一昨年7月末、創業から83年で店じまいをした和菓子「林家」の竹内政江・靖子姉妹。一鶴が世に出る前からのお付き合いと聞く。師匠が公演先で花束を頂くと、必ず林家へ持ち込む。翌日、妹さんの手できれいに店頭に活けられていた。私も師匠亡き後は、同様にお花をお持ちし、知人の楽屋見舞いには、林家の菓子を持参。渡辺真知子さんも、鶴を象った練りきりを喜んでくれた。閉店後も度々顔を出せば、おしゃべり好きのお姉さんが「振り込みサギを撃退したのよ。」などと一頻り。平井の名物姉妹には、いつまでもお元気でいて頂きたい。
 「千成飯店」の大橋黄旬・フサ夫妻もご来場。かつては一鶴とおかみさんが足繁く通った町の中華。師匠は、餃子と野菜炒めのA定食にソースをたっぷり。私は、レバニラライスとわかめラーメンが好物。飽きのこない味は、新潟から上京のマスターが竪川の千成で修業。千成は、習志野の山田製麺が浅草馬道で開業した店が元祖とか。24才で独立後、昭和52年9月6日に平井に開店。以来41年、地元民の胃袋を満たし続けたが、奥さんが酷使した腰も悲鳴、「体力の限界により」との張り紙で、昨年11月3日に閉店した。
 その千成の隣りにはカメラ屋さん。昔から「写ルンです」を愛用。全国の方々との写真を焼き増し、お送りする事が楽しみの私は頻繁に利用していたが、3月31日で閉店の文字。昨夏の猛暑で、高速現像機が故障していたがまさか閉めるとは。昭島から50年の通勤も苦ではなかったという店主の管川紀男さんは、22年前に平井駅前の銀映堂から独立開業。聞けば、盛岡出身で、母親は水沢の産。「私、岩手によく行きますよ。」「ええ、現像の際、懐かしい風景を垣間見ていました。これ、ずっと帳場に貼っていたんですが、差し上げます。」日付は定かではない、色あせた新聞の切り抜きに、若き日の一鶴の笑顔が。平成の終わり、亡き師匠ゆかりの店がまた一つ、幕を閉じた。

田辺鶴遊(たなべかくゆう)
講談師。平成27年真打。朝日新聞「千葉笑い」選者。