Vol138 心のままに

心のままに

何年振りになるだろうか?
 立葵の赤い花が、空にむかって何本も咲いているのをみた。私が子供の頃は、この花はいろんな所でたくさん咲いていた。真夏の太陽にむかってまっすぐ上にのびる潔さと、花の色の濃い赤さが、好きで、私はこの季節になるといつも、楽しく立葵の花を眺めていたものだ。
 私のこと、何故か、遅咲きのヨーコちゃんと呼ぶ人が多い。仕事を始めたのは、早いのだけれど、結婚したのは、四十過ぎ。その時に一切に仕事をすててしまい専業主婦となったので、その前働いていたのは、ご破算となってしまった。
 そして、私が文章を書き始めたのは、四十三位からかなあ。特別好きだった訳でもなし、勉強したわけでもなかったのに、偶然、人を待っていて、現われるまでの時間にナフキンに、気まぐれにつづった、散文詩みたいな物をみた人が、作誌の方に紹介して下さり、それから、詩を書くようになった。そのうちエッセイを書くようになったら、偶然本になり、それから小説を書くようになってしまった。そんな中全部をひっくるめて、私の事を遅咲きというのだろうか?
 まあ、たしかに、結婚には適齢期があるし、物を書く方だって、皆様学校に入って学んだり、先生について一生懸命勉強して、苦労に苦労を重ねて、世に出るのだろう。
 私は、なんの勉強もしないまま、たまたま義理で入れられたカルチャースクールの宿題が出版社の方の目に止まり、本になり、その本が少しばかり売れたのがきっかけで何時のまにかエッセイや小説を書き続けている。
 気がつけば本も十四冊出版されている。その何冊かがドラマ化されているので、それまでまったく知らなかった世界も、いくつか知るようになった。そのおかげで、お芝居や音楽会等の上演を企画したりもするようになっている。
 自分でも、不思議でならない。幼い時から私は、大人になったら弁護士さんか、お医者さんになりたいと思っていた。根拠があるわけでもなく、子供心にもカッコいい職業だと感じていたのだろう。父や母がそんな希望をチラッともらしていたのを聞いたのも影響しているのかもしれない。でも、現実は大ちがい。学校大嫌いで、卒業の時も留年に追い込まれ両親をハラハラさせた。その後の私については、先に書いた通りなのだ。本当に自分勝手な夢や希望も持たない流れのままにただ漂うクラゲ人間みたいだなあと感じずにはいられない。
 結婚相手の吉成が亡くなって一年後、私は千葉市内に「ラウンジ夢子」を開いた。いい人のつながりが、ここで生まれればいいなというのが第一の目的だ。そんなカッコいい事ばかり言うのも、みっともない話とわかっているが、もうかればいいけど、高い料金は取りたくないと思っている。
 私の力で続けられる限り、がんばってみるつもり。
 始めは自分が接客にあたるなんて考えてなかったけど、現在は、一日一回は店に必ずすわるようにしている。そうしたら、いろんな方とお話が出来て楽しい。この年齢になって店を始めるなんて、きちがいざたと思われる方もいらっしゃるかもしれない。ただ私には一つの理由があった。
 千葉の栄町で、戦後すぐに焼野原になってしまった千葉の街に、少しでも人のぬくもりを持つ寄合い所が出来ればという願いを込めて、私の父が中山はるさんという方のご協力をえて自分の山から切り出した木を使い、「みずほクラブ」というのを作った。そこへ行けば、知り合いの人や仲間とも会える。飲める、マージャンや碁も出来る。宴会もできる。しかもすごい安い料金で。
 「みずほクラブ」は、はるさん亡き後も、父亡き後もはるさんのお嫁さん達がしっかりやって下さっていたが、何しろ建物も古くなったりで、閉じられた。
 親不孝ばかりしてきた私が、一つ位父の想いを継げたらと考え、「夢子」を開く決心をしたのだ。
 だから、決して営利目的には走ってない。心温まる寄合い所になればと、日夜願っている。幸いにもその願いは、八十パーセントは、成功している。気持ちいい方ばかりが来て下さり、自然のうちにいいつながりが出来ている。私自身も小説を書く上で、時代の流れにおくれずにいられるのが非常に役立っている。いろんな分野の若い人をしっかり育てたいなんて大それた気持ちも少しだけ持っている。だから、政治家、実業家、歌手、役者さんの卵もたくさんいる。
 若い人達もすてたもんじゃない。皆、自分の目的に向かって努力している。子供も孫もいない私。そんな若い子達はみんな可愛い。もちろん、私の店の男の子や女の子も。みんな幸せになって欲しいと願っており、少しでも役に立ってあげたいと思う。もしかしたら反対にそんな皆から元気をもらっているのかもしれないけど……。
 最近、いろんな所で「きらこ」読んでますよとよく声をかけられる。ほんとに嬉しい。一生懸命楽しみながら書いていきますね。