KIRACO(きらこ)

Vol139 北海道に息づく尾張名古屋

2019年11月1日

一鶴遺産未分類

7月、岩手「北上本牧亭」を皮切りに、久慈・八戸・鯵ヶ沢・八雲・函館・旭川・恵庭・札幌と9ヵ所17公演19日間で東北・北海道を巡業。仕事を待ってばかりはいられないと、ご縁を頼りに積極的にお声掛けした事が功を奏し、初開催の場所も多数。この他には車で、足寄・網走・北見方面へ。美幌の名士との顔合わせなど、今年の巡業は、特に多くのお客様と出会い、次回公演の足がかりを各地で得る事が出来た。

名所旧跡も周遊。久慈の三船十段記念館は、柔道名人・三船久蔵の生涯をロボット講釈師が解説。ヒゲが亡き師匠にそっくり。かつての師匠宅の向かい辺りに、鬼と謳われた柔道家・徳三宝先生がお住まい。空襲で亡くなったが、三船十段は、この徳としのぎを削っていた。久慈生まれで津軽藩の始祖・大浦光信の墓は鯵ヶ沢に。五寸釘寅吉が脱獄を試みた網走監獄。子供の頃に共演した、織井茂子さん歌う「君の名は」の舞台・美幌峠。後藤新平と親交のあった新渡戸稲造ゆかりの北大博物館等々、講談の題材を求め訪ね歩いた。

お客様の反応が抜群で、いつも爆笑の「八雲シンフォニー寄席」は三度目。八雲町は、明治11年以降、尾張・徳川義勝公の意向で、旧尾張藩士らが入植し開かれた土地。浜松という徳川ゆかりの地名に、名古屋の市章㊇マークの味噌蔵、町のそこかしこに尾張藩士の足跡が。客席に居合わせた太田さん兄弟が子孫と聞き、後日ご案内頂く。噴火湾を望む遊楽部川河口に、開拓移住者上陸記念碑。新函館農協組合長まで務めた兄・真樹夫さんが、「80年住んでて初めて来た」と一言。祖母のトキさんは移住一世で昭和45年まで健在。兄弟は、移住時の話を聞かされた。七歳で、故郷の名古屋中村を家族三人で出立し、函館までは大船。艀船から上陸の際、トキさんをアイヌの人が抱えてくれたが、幼心に怖かったという。太田家など開拓士族の墓地は、今も、町を見下ろす常丹の丘にあり、墓石はいづれも町を背に名古屋方面を向いている。昭和18年5月、太田家が入植した大新地区が、陸軍飛行場建設の為、熱田神宮唯一の分社・八雲神社などとともに立ち退きを余儀なくされた時の事は、当時五歳の真樹夫さんも忘れられない。徳川農場の一部もあったが、徳川義親公はお国のためと土地を提供し、今は空自基地に。この義親様が農閑期に、木彫りの熊づくりを奨励、北海道土産の定番となった。「徳川さん」と親しまれ、胸像が役場前に。徳川農場長や準家従を勤めた父・太田正治氏の元には義親様から慰労の葉書が何枚も寄せられた。弟・新生さんは旧徳川農場で定年まで酪農に従事。徳川の名に惹かれたか、愛知県豊橋市の農場から打診があり、豊橋の子牛を広大な八雲の地で育てて送り返すという事業が現在まで継続。その道筋をつけたのが新生さんだった。移住から百年を経て、今なお連綿と続く、北の大地と尾張名古屋との交流。名古屋の生まれを誇らしく思う一日だった。

田辺鶴遊(たなべかくゆう)講談師。名古屋生まれの静岡育ち。幼少時より芸能活動。師匠・田辺一鶴没後は、宝井琴梅門下。平成27年真打。<出演情報>問い合わせは、各会場まで。◎9月7日14時~「小島貞二展大演芸会」市川市生涯学習センター、無料(抽選アリ)

◎10月26日13時~「土曜特選会」お江戸日本橋亭、鶴遊演題「徳三宝」