KIRACO(きらこ)

Vol140 さらば、いとしのピロリ菌

2019年11月14日

中田芳子さんのエッセイが読めるのはKIRACOだけ

さらば、いとしのピロリ菌

「ピロリ菌」

この何ともユーモラスな細菌の名前、多分皆さんご存知ではないでしょうか。人間の胃の粘膜に住みつき、『アルカリ性のアンモニア』を作り出しながら、生き続けるのだとか。つまり、大事な胃酸を減少させるもとになっているらしいのです。でも、その駆除については今迄あまり声を大にして勧められてはいなかったようです。ところが最近、胃がん患者の九十五%が、もともと胃にピロリ菌を飼って(?)いた人である事が判明して以来、検診で菌が見つかった場合には、なるべく早急に駆除することを勧められています。私もここ十年近く毎年胃カメラを呑んでいるのですが、その都度、ピロリ菌ご一家が胃袋の壁面に住み着いていることを指摘され、早々の駆除を示唆されていました。が、ワケあって断乎お断りし続けていたのです。

何故か?ピロリ菌の除去は基本『抗生物質頼り』です。これまで私は、何かにつけてこのお薬のお世話になってきましたが、何度その副作用に苦しめられてきたことか…。例えば扁桃腺に炎症を起こしたとします。痛み、腫れ、高熱…そんな時、病院で頂いてきた抗生剤を飲むと、その途端、下痢とか倦怠感に襲われ、そうでなくても骨と皮だけのこのみすぼらしい身体が更にガックリと・・・。つまりガタイが貧弱な分、薬の威力は患部に留まらず、私自身をも破壊してしまう~と、まあ大袈裟に言えばこんな感じなのです。

ここで私が声を大にして言いたいのは体重百キロの巨漢も、この私も、薬の分量はすべて同じなのだそうです。ヘンなお話だとはお思いになりませんか?今回私はお医者さんに、思い切ってその不条理?について問い正してみました。『人間十五歳以上になれば、皆同じように身体が出来上がってしまうからです』『はあ…?』実に何とも、確信に満ちたお言葉なのでした。

今年も同じように胃カメラ検査を受け、またぞろピロリ菌の駆除を勧められたのです。胃ガンとの関わりを強調され、この際思い切って駆除に踏み切ることにしました。でも、その説明の折り耳にした一言にちょっと引っかかったのです。「ピロリ菌は幼少時に劣悪な衛生環境の中で育った人に多い。発展途上国などではよく見られる現象」だというのです。これは聞き捨てならぬ情報です。私が生まれてから十五歳まで育ったタイペイ市は上下水道も完備。衛生状態は決して劣悪だったとは思われません。たまたま広島に住む妹から電話があったのでその話をすると、「あら、私も四、五年前にピロリ菌駆除したけど、なんでも無かったよ。劣悪な衛生環境?・・・」しばらくの沈黙ののち、妹は電話の向こうで大笑いしています。「よっちゃん、それはね、私達が終戦後、台湾から鹿児島に引き揚げてからのことかも知れない。ほら、あの時よ!川内の大水!」言いながらまだ込み上げる笑いにお腹を捩らせている風体です。

思い出しました!現在の薩摩川内市。私たちが引き揚げた頃、あの街はまだ堤防が整ってなくて、大雨が降るたび家が水に浸かり、ひどい時は学校から帰れなくて、当時高校生だった私はクラスメートの男の子のボートで家まで送ってもらい、二階の窓から「ただ今・・・」って感じで帰宅したことさえあったのです。周りはもともと畑や田んぼです。当然そこには「肥溜め」もあったはずで・・・。「あの時、私のゴム靴が流されて・・・、覚えてる?」そう言いながら妹は息を切らせるほど笑い続けています。

そう、二階の窓から帰宅したその後あと、何故か靴が片方、プカプカ流されて、それを指さしながらワアワア泣く妹。まだ小学二、三年生でした。水は引きはじめていて、流れも次第に早くなっていきます。もう待ったナシ!私は制服を脱ぎ捨て、得意の平泳ぎで妹の大事なゴム靴を追っかけたのです。なんたって終戦後のモノの無い時期です。

あれから七十年・・・恐らくその時代からずうっと長の年としつき月、この私と共にあった『愛しのピロリ菌』。抗生物質の副作用も、単なる杞憂に留とどまり、一週間、朝夕とも無事に飲み終えることが出来たのでした。