KIRACO(きらこ)

Vol141 奥羽越・講談の旅

2020年2月13日

一鶴遺産

奥羽越・講談の旅

亡き父が名古屋で営んでいた芸能社。そのアルバイトだった藤井君の実家・佐渡島を、夫婦で訪れた直後に私が生まれて「お前は、佐渡の子授け観音にお参りして生まれた」とよく聞かされた。その観音様を尋ね、佐渡へ渡ったのが四年前。おそらくは、これが子授け観音であろうというお寺へ。偶然、藤井家の消息を知る方とも知り合い、今は新潟市にお住まいと聞いていた。11月12日、その藤井裕さんが、新発田市生涯学習センターで五年ぶり開催の「ふぢしん寄席」に御来場下さった。自分のルーツに関わる方とやっとお会いする事が出来、感激した。割烹「ふぢしん」は新発田一の人気店。店主の藤倉さんが、私が案内役の「はとバス」ツアーに乗車したのがきっかけで懇意に。かつては、新発田生まれ「堀部安兵衛」の一席を伺う機会も頂いた。終演後は勿論ふぢしんで舌鼓。ご常連で、裏方の中心メンバー、安田さん、木戸さん、奥村さんらとの再会は何より嬉しかった。

翌日は村上へ。好物「鮭の酒びたし」の製造工程を間近に。その他も、名所旧跡を周遊。光徳寺では、図らずも内藤信成のお墓参り。東京で荒れていた墓を、村上藩・内藤家歴代の墓地のあるこの寺に、平成期に移したという。信成の奮戦を描く「三方ヶ原軍記」は講談の基礎。本堂に立ち寄りワケを話せば、御住職の読経が始まり、位牌も拝ませて頂けた。

特急いなほで、日本海沿いを北上し酒田へ。年明けに根多おろしの古典「本間の革財布」に登場の大商人・本間家ゆかりの地。雨の中を歩いて、点在する関連施設をくまなく巡るうち、浄福寺にひっそりとある本間家墓地を見つけ、手を合わせた。高速バスで仙台へ。

津軽三味線の松田隆行兄と「まつたなべ」を結成、常打ちの寄席・花座に初出演。一日三回公演で集客を心配したが、仙台市内はもとより東北各地から御来会、花束や牛たん弁当など楽屋御舞いもワンサカ。仙台の大スター・ワッキー貝山師から差し入れの地ビールで世話になったスタッフ・菊地さんらと楽屋で軽く打ち上げた。花座は、宿舎完備が嬉しい。後日、白津守康席亭の車で、青根温泉へ。私がよく口演する一鶴作品「古賀政男伝」。古賀政男は青根で自殺未遂、その心情を綴ったのが「影を慕いて」。石碑を、地元の顔役・我妻さんに御案内頂き、湯本不忘閣へ。古賀先生はじめ多くの文人が宿泊。元来、仙台伊達家の定宿。密談の結果を狼煙で遠く仙台に知らせたり、お抱え力士・谷風らを呼び寄せて相撲を取らせた。12月11日、元力士の演芸評論家・故小島貞二先生生誕百年の会を両国亭で開いたが、久しぶりに「谷風と橋場の長吉」を読んでみた。旅は、講談の見えない説得力と信じている。今年も皆さんとの縁を力に、講談の旅を続けていきたい。

田辺鶴遊(たなべかくゆう)
講談師。師匠田辺一鶴没後、宝井琴梅門下。平成27年真打。