Vol142 マーガレット

マーガレット

花の季節がやってきた。
花ってどんな花でも美しい。花にまつわる思い出はいっぱいある。
私は、小学校に入学する直前まで、世田谷に住む伯母の家にいた。伯母は再婚で年齢のかなりかなり離れた夫との間に子供はいなかった。伯母が嫁ぐ前に生まれた私は、伯母にとてもなついていた。伯父も可愛がってくれたので、私はずっと伯母の家にいついてしまった。「東京の学校へ入学させた方がいい。そうしなさい」伯父の言葉に、伯母は、「それがいいわ。あの山道一里も歩いて学校へ通わせるの、かわいそうに思ってたのよ」とすぐ賛成した。

たしかに私の実家市原の山奥から、学校へ通うとなると一里はあった。おまけに岩をくり抜いたトンネルを四つもくぐらなければならなかった。
私の両親と伯父母夫婦の間で、何回か話合いがおこなわれたようだ。その間も伯母は、いろんな学校に問合せをしたりしていたようで、「成城学園にしよう。近いから」等と話していた。
私自身は東京の学校にどうしても行きたいなんて思ってもいなかった。でも学校に入る年齢になったというのは、大人になった様な気がして、どこかワクワクしていた。

ランドセルも買ってもらった。時々だしては眺めていたが、急に市原の学校へ入る事になった。理由は、詳しくわからなかったが、父がやはり両親の許から学校へ通わせるべきだと言ったらしい。家長である父の意見は絶対だったから、伯母が市原まで送って行ってくれるという話になった。子供心でも東京へ未練があるのは、わかった。だけど、私が帰りたくないなんて言えば、伯父や伯母が、困るだろうと、わかっていた。特に伯母は、私を自分の子供と思い込んでいるのがわかっていたから。伯父さんもそんな妻の気持を察して、私を大切にしてくれていたのだと思う。市原の家に着いたのは、四月に入ってすぐの頃だ。伯母は、私の気持を引きたてる様に、いろんなおみやげもいっぱい買ってくれた。私と同級になる子供が村に何人いるかを問合わせて、その数だけのおみやげも買ってくれた。当時は、東京から市原に行くのに一日がかりだった。両国駅から汽車に乗り、千葉駅で下車し、そこからバスに乗ることたっぷり二時間、そこから一時間余り、歩くのだが、バス停には、迎えの車を出してもらってあったので、そこからは楽だった。それでも家の門をくぐる時は、夕やみがせまっていた。

伯母と私は、まず祖母の笑顔で迎えられ、奥の部屋に通される。三方がガラス張りのその部屋を今は祖母が居間として使っているようだった。父は仕事で留守とかで、いなかったが母が私の弟と妹を連れてきた。弟は私と一歳しかちがわないので、あまりビックリしなかったがまだ赤ちゃんだった妹がヨチヨチ歩いているのには、ちょっと驚いた。「ほら、あなた達のお姉さんですよ。これからはずっと一緒なのだから、お姉さんの言うことはよく聞くのよ」と、母が弟と妹に言った。二人共、コックリと頭を下げたが、すぐに母と一緒に部屋を出て行ってしまった。伯母と祖母は久し振りに会ったので積る話があるのだろう。

二人でさかんにしゃべっていた。なんだか一人取残された気がして、心細くなった私は窓の側へ行って、庭を見渡した。一瞬で目に入ったのは、庭一面に白い花が夕やみの中で咲き乱れている風景だった。それはなんとも言えない初めてみる景色だった。「ああ、きれい」とか、私が思わず大声をあげたのだろう。

伯母が隣りに来て、「何をみてるの?」と聞いた。「あの、白い花なんてゆうの?」私の質問に伯母が、「あれはマーガレットという花よ。嫁入り前に私が花壇に植えたのだけど、こんなに増えたんだねえ」。伯母がしみじみした調子で言う。私は花の生命力みたいな物を感じとると共に、これから先、ここで私も暮らしていけると感じた。伯母が私の頭をなでながら、「ここがヨーコの本当の家なのだから、明日からは、弟や妹と仲良くして、楽しくくらしていくのよ」。私は明日東京へ帰るけど、だいじょうぶだよね」とさとす様に言う。「明日帰っちゃうの?」「そりゃそうさ、伯母ちゃんの家は東京だもの。そうだ、ヨーコ夏休みは東京へおいで。伯父ちゃんと二人で待ってるからね」「夏休みっていつ?」「三か月もすれば、すぐ夏休みさ。伯母ちゃんが迎えに来てあげるから」「きっとだよ」私は伯母の指に自分の 指をからませた。

祖母や両親始め回りの人の心づかい があったのだろう。私は一日ごとに市原での暮しに慣れていった。弟や妹もよくなついてきたので、楽しさが増した。村の子供達ともすぐ仲良くなった。川遊び、山探検等と、それまで味わった事の無い、遊びにも接するようになり、結局、市原には私は四年生の二学期までしかいなかったのだが、今となると市原での生活が一番懐かしいものとなっている。