Vol144 あじさいの季節

あじさいの季節

雨に打たれて咲いているあじさいの花が美しい。梅雨は大嫌いだけど、この季節あじさいの花を見るのは大好き。いろんな色があるけど、どの花もみずみずしくて鮮やかだ。今年も咲いてくれてありがとうと、御礼が言いたくなる。
いつ、それに本当にこのコロナウイル スさわぎ終わるのだろうか?と気になる 毎日だ。

五月末日毎年やっている、目の御不自由な方々へのチャリティー公演も中止した。今年で七回目、私の書いた作品を俳優さんに朗読して頂き、その後は何人かの歌手にご出演頂くのだが七回目ともなると結構お客様も入ってくださるようになった。ただし三団体から四団体へ寄付するので、そこまではお金が回らない。だけど喜んで頂けるので、一生懸命続けるつもり。役者さんや歌手の方をもう少し安い方にすればいくらか楽になるかもしれないが私としては、それは余りやりたくない。特に朗読は、 私は出来るだけ内容を理解して下さる 方、そういう方々を選んでいる。

当日が来ると、ああ、私の判断まちがってなかったなあと安心するのが実際のところだ。若林豪さんには、三度ご出演して頂いている。真面目で誠実な方で、質問もたくさんして下さる。きっと、小品であっても納得して、お読みになりたいのだろう。昨年、終演後、「来年は、もっとドロドロした作品読ませて下さいよ」とおっしゃった。ああ、来年も出演して下さる気でいらっしゃるんだと嬉しくなった。「じゃ、来年は、書き下ろしでいきましょうか?」「いいですねえ。ラブシーンもタップリ盛込んで下さいよ」。「あっ、それはダメ。私の一番苦手なシーンだし、教育委員会様から、後援も頂戴しているので、お子様方ももちろん観に来て下さってるでしょう。そこらのあたりを充分考えてやらなきゃいけないのよ」。私の説明に、「そうかあ、多少しばりがあるのかあ」と残念な表情をみせてから、帰って行った。でも……なんとなくその会話が忘れられず、よし、今年の若林さん用は、新規に短い小説書いてみよう。と思う。そして、ひまをみつけて書きだした。

私はエッセイも好きだが、書くとすれば小説の方が好きだ。自由に書けるから。ただ恋愛がからんでいる話は難しいし、うろたえてしまう。若い時から、結婚するまでの二十年間、仕事仕事で動 いていた私。結婚願望は少しもなかった。

男性とお茶を飲んだり、食事をする 時間があったら、一冊でも本が読みたかった。私の読書に対する想いは子供の時からだったそうだ。

まだ、字が読めない赤ちゃんの頃、少しむずかると母が絵本を持たせたという。絵本がさかさまの時でも、私はおとなしくなり、絵本を静かにながめていたそうだ。小学校、中学校と進むうちに読書熱はますます盛んになり、本を読まない日は一日もなかった。高校の後、初代学長が与謝野鉄幹・晶子ご夫妻という古い学校である文化学院文学科に入学した。母が入りたかった学校だと聞いたので、少し親孝行のつもりでここに決めたのだった。やたらレポート提出の多い学校だったので、書くくせはそこでついたのかもしれない。でも他校の男子学生が、御茶ノ水の駅前にあるマロニエで珈琲一杯おごってくれれば、書いてあげると申し出るので、たのんだ事も何回かある。東大生、一橋生、慶大生だったりしたので、きっと良い点が取れるだろうと考えたのだ。ところが、自分で書いた方が何故か点数が良い。

私は、それ以後自分で書く事にした。いくつになっても学校嫌いはなおらず、さぼりにさぼり、銀座の喫茶店でたむろしている方が多かった。煙草を吸ってみたくって、「ホープ」というタバコがたしか五十円だったと思うが十円ずつ出し合って買ったっけ。少しもおいしくはなくむせてばかりいた。そんな状態だから、私は留年を言い渡された。丁度父が御茶ノ水の順天堂に入院していて、私がお見舞いに行くと、「俺の見舞いはいい。学校へ行け」とうるさかった。私の縁談話がおきており、どうも卒業後見合いをするようになっていたようだ。クラスでは謝恩会準備が始まっていた。

もう一人女生徒で留年組がいたので、二人で、「どうせ私達には関係ない話だよね」とふてくされていたら、学務主任の先生に呼ばれて「追試をやるからがんばって」と言われた。学校に興信所が調べに来たので私に縁談があるのを知ったようだ。

無事卒業は出来たが、十日もしないうちに私は喫茶店をやりたいと言い出し、実際に始めたのだった。反対しながらもお金を出してくれたのは父だった。

それから約二十年近く、私は仕事に熱中して暮らした。親に反抗ばかりしていた私。現在でも、父母に対しては申し訳なさばかりが残っている。それともう一つ、小説を書くようになるのだったら、激しい恋の一つでもあればよかったと、つくづく思っている私なのだ。