KIRACO(きらこ)

Vol147 自然体を目指して

2021年1月7日

一鶴遺産

自然体を目指して

昨年の11月13日、千葉朝日カルチャーで「千葉笑いの世界を味わう集い」が開催。「千葉笑い」は、朝日新聞千葉版木曜朝刊で隔週連載中の読者投稿による笑文芸欄。市川在住の演芸評論家・故小島貞二先生が、千葉市千葉寺で江戸期に盛んに行われた大晦日の晩の奇習“千葉笑い”に因み、昭和61年1月11日にスタートさせ、本年1 月14日の掲載で一七一六回を数える。コント・川柳・回文・都々逸・アナグラム等々、様々な笑文芸を一度に扱うのが千葉笑いの特徴。当日は、選者を務める私の講談一席はもちろんのこと、もう一人の選者である演芸作家・志村葵先生による、笑いを交えた作品の作り方講座が好評だった事が、11月16日付けの朝刊で紹介された。

朝日カルチャーでは丸島明美さんが御担当。私を後任に推薦して下さった前選者で、笑点が代表作の放送演芸作家・遠藤佳三先生の講座を長年担当したベテラン職員で、その情熱にほだされて、私も何度か、単発の講談教室をやらせて頂いた。参加者の中から熱心な方数名は、私が定期的に開く講談教室にも顔を出すようになった。

田辺鶴遊講談教室東京校は、文京区の狸坂文福亭で月に一度、基本的に第三火曜日に開講している。講談話法・発声の基礎編ともいうべき軍談・三方ヶ原の読み方はもとより、明治から昭和初期までに発行された物がほとんどの、私の膨大な講談本コレクションから印刷・提供した台本の中から、各自が興味に応じて選んだ講談を指導。新作講談志望の方にも、作り方から演じ方、古典・新作を問わず、資料の集め方まで伝授。各々の個性を尊重、一緒くたに同じ講談を教えない事が、我が教室の特色で、静岡校生徒との交流や、函館・名古屋といった、講談ゆかりの地への修学旅行も頻繁に。静岡校とともに、趣味の初心者から、いずれはプロへの入門者も輩出したいものと、精力的に活動している。

文福亭は、私の高座に通ってくれていた元教師の稲葉洋子さんが、自宅一階を開放して作ったイベントスペース。まだ二ッ目時代に、稲葉さんやお仲間が、私の講談会を開いてくれた事がきっかけで、ここでの教室が始まった。元々、朗読・詩吟・紙芝居などを経験した芸達者な奥様方が中心メンバー。新規参入の男性陣も負けじと、一芸は万芸に通ずの精神、講談話芸を是が非でも身につけんと、毎年12月に両国亭で開催の発表会に向けて、毎月の稽古に励んでいる。昨年は、緊急事態宣言等の影響で、はじめて二ヶ月間の休講をしたが、驚いたことに、生徒全員が腕を上げていた。「自粛期間は講談研究にもってこい」と発破をかけた事が功を奏したか、郵送での、台本添削の依頼にもお応えした。

12月、発表会を前にした仕上げのお稽古で、稲葉さんの話術が一瞬光った。講談に登場する港区芝の坂道を、稲葉さんが実際に訪れた時の説明をする「引き事(挿話)」部分が、借り物の台詞ではない自身の言葉で、肩の凝らない滑らかな語り口だった。わざとらしさや無駄事を排除した、自然体の話術は、私自身が目標としていて、生徒にも目指してもらいたいと思っている。よく先達から、「芸は人なり」と教わったが、講談の醍醐味もまたしかり。演者それぞれの解釈を通して聞く“講釈”は、同じ題材でも、全く違って聞こえてくるのが講談の魅力。講釈師見てきたような云々と言われがちだが、嘘に聞こえない説得力こそ腕の見せ所。自らの足で見聞を広める事が、その説得力につながる。

狂歌は、投稿数は少ないが、千葉笑いでも扱っている。「蜀山人」は、かつて亡き師匠が得意の読み物。伝記等を調べると、先輩格の狂歌仲間・平秩東作(へづつとうさく)に俄然興味が沸いた。私の生まれ故郷・名古屋の近郊に東作のルーツもあるという。私はここ数年、何度も東北・北海道巡業を敢行。その際、私が立ち寄った仙台・松島・水沢・浅虫・松前・江差等々を、東作は、いずれも訪れていて、特に江差には半年滞在。時の田沼政権から、松前藩探索の密命を帯びていたというが、この旅は、著書「東遊記」に詳しい。また、平賀源内とともに木炭の利益に目をつけ天城山へ。幕府御用炭の生産に乗り出す。その折、炭焼き指導をした二人の山本氏の墓が現存すると知り、11月の末、西伊豆の仁科・田子から天城山中へと巡った。いつの時代にも、人は、旅に果てなき憧れを抱くもの。平秩東作の足跡は、いずれ講談化をしてみたい。

田辺鶴遊(たなべかくゆう)
名古屋生まれの静岡育ち。「きらこ」創刊号から連載をしていた講談師、故田辺一鶴に幼少時から師事。東海大大学院政治学研究科中退後、前座修業を開始。師匠没後は、宝井琴梅門下。平成27年真打。