KIRACO(きらこ)

海の男

一月の終わりなのに、空の色は何処か春の訪れを感じさせる。そんな日の午後だった。

その日、私は午前九時半に船橋の市役所の駐車場へ向かった。最近私がレギュラーを務めている千葉テレビの撮影のためだった。

船橋では、最初に松戸市長さんにお会いして、お話を聞き、その後は船橋のおすすめのお店や名所を回る。案内役をするのが、プリティ長嶋さんと私。

その他千葉おかみさんの人達が五~六人同行するというのが、いつものパターンとなっている。始めてから早いものでもう半年がすぎている。だけどつくづく最近思う事は、千葉県って奥が深いし、各地域にまだまだあまり知られていない名所と呼んだって決して不思議ではない場所がたくさんあるという事を感じる。その上、食べる物も地域にいろんなおいしい物がたくさんある。海の物、山の物、里の物、野菜、フルーツ、お酒だっておいしい。それに最近ワインもなかなかの物。フルーツのお酒も各種でている。

私はつくづく千葉県っていい所だなあと思うのだ。私に同行しているおかみさんの人達も「この年齢になるまで、千葉県にこんな知らなかったところがたくさんあるなんて、本当にビックリした」と、しきりに言っている。それに特に私が一番強く感じるのは、各首長さん始め役所の方々が、とっても自分の街を愛しているのがひしひしとわかる。各市長さんも忙しい合間をぬって、それは熱心にお話をして下さるし、職員の方々の熱意も伝わってくる。たよりない案内役の私だけど、これは真剣にやらねばと、近頃は一生懸命やっている。

プリティ長嶋さんのお荷物にならない様に、努力しているつもりだが、もともと考えて口を開くなんてできない私。時々プリティさんを困らせているのではないだろうか…?

それにもう一つ、私は、千葉県ってもっと、もっと観光でのびるという事を実感している。

あらためて、強く実感している。私はライフ・ワークとして、観光と、目のご不自由な方々への支援と決めて、少しずつ努力は続けている。いつか何かに書いた事があるが、観光について熱心にやりたいと感じたのは、はるか昔、ゴルフ場ができ始めた頃だった。

市原の山奥にあった私の家にゴルフ場を作る話が次から次へ舞い込んできた様だ。当時村長をしていた父は、「人の来ない所は、さびれていくばかりだ。ゴルフ場が出来れば、働き場も出来る。自然破壊をするかわからないが村を活性させるためには、そうすべきだ」と主張していた。だがそれには、道を広げなければならない。父は率先して、長屋門や蔵、古い母屋の一部を提供した。母は大反対、「ご先祖様に申し訳ない」と父に文句を言い続けていた。私はその時なんて父は暴君なのだろうと母に同情していたものだ。だが、村にはいくつかのゴルフ場ができていき、めったに他県の人が訪れる場所ではないのにいろんな人達がゴルフをやりに村に来る様になった。私は、東京の学校へ進むため、弟と妹と東京へ行ってしまい、村とも父とも母とも離れて暮らしていたが、夏休みには帰った。

そのとき一番驚いたのは、お嫁さん達が皆化粧をしてとってもきれいになっていたのだ。キャディさんにやとわれたり、ゴルフ場にお勤めする様になったのだそうだ。花柄のブラウス等着て、若くなっていた。農家のお嫁さんに日銭が稼げるいうのは、いい事なんだなあと私は感じたし、村の人しか会わなかった所へ、いろんな人が訪れてくれるのは村全体に活気があふれていた。

そしてこの山奥の地域は、「ゴルフ銀座」と呼ばれる様になった。私は初めて、父の考えが正しかったと悟り、その頃から観光という物に少しずつ興味を持っていったのだと思う。船橋の撮影もスムーズに進んだ。松戸市長さんの誠実なお話に感動し「東魁楼」で、おいしい昼食をゆっくりとった。専務さんが、同席して下さり、色んなお話が聞けてよかった。特に北京ダックは、本当に絶品だった。

最後は、漁船に乗せて頂いた。このしろだという魚をこの季節はとるのだそうだ。その船長さんが、「きらこ」に書かれておいでの大野船長さんだった。紙面上ではよく知っていたが、互いにお目にかかるのは初めて。とってもカッコイイ男性だった。お話もおもしろく代々の海の男だそうだ。船上からは、とっておきの夕焼けが美しく、富士山も見えた。楽しいロケの一日だった。

いつか、もう一度船橋へ来てみたいそう願いながら楽しく家路に着いた。