KIRACO(きらこ)

双の手のひら

数日前のこと、就寝時、右の手のひらになんとなく違和感を感じて灯りをつけてみると、思いなしかほんのりと赤らんで見えるのです。(今日は庭仕事、少し頑張りすぎたかなぁ?)

そのまま気にせず寝るつもりだったのですが、以前同じような状態から、とても面倒な事態に陥ったことがふと頭をかすめました。

もう半年あまりも前でしたが、畑仕事をしていて右手の親指を毛虫か何かに刺され、猛烈な痛みとともに腫れ上がって、とうとう親指の爪までボロボロにやられたことがあったのです。

皮膚科に通院して治療して頂いたのでしたが、幸い患部は親指だけにとどまって事なきをえたのでした。その夜暫くたって、といっても寝たのが二時ですから、多分もう明け方だったと思います。

右手の手のひら全体の、嘗かつてないほどの痛みで目が覚めました。

もう二十年くらい前、犬の散歩で引きずられ、《尾てい骨》を骨折したことがありましたが、それに匹敵する程の痛さです。

掌は動かすどころか半開のまま膠着状態。触ってみると熱を持っていて、どうも手首がやられている感じです。

コロナが怖くて翌日はひたすら腕を冷やし、家で神妙に過ごしていたのですが、手のひらの腫れはもはや限界です。

普段は血管が浮き出ていて、みっともない《老婆の手》が、まるで生まれたての赤ちゃんみたいにプクプクしていて、どう見ても左手の二倍はある感じになってしまいました。

さすがに次の朝、病院に駆け込みました。カクカクシカジカ経緯を話すと早速レントゲンを。でも、その映像を前にしての説明といえば、

「骨折まではしていませんが、やはり老化現象で骨と骨との間がこのように(と、パソコン画面の、若干白っぽくモヤついている手首のあたりを指し示しながら・・・) 磨す り減っているようですね。痛み止めを出しておきましょう」

《老化現象!》

そうです。高齢者ならどなたも経験済みだと思いますが、何かで受診した場合、告知される言葉の中に必ずくっついてくるこのひとこと!

頂いた痛み止めで痛みはほんの少し収まりましたが次の日からの腫れ具合は尋常ではありませんでした。四六時中襲いかかるその激しい痛み。両手を見比べてみると、もはや三倍です。

でもこれは本当に不思議なお話しなのですが、もともと私の手は左右対称ではなく、指の太さから外見に至るまで大きな差があったのです。気がついたのは遥はるか昔、中学生の頃でした。左手の指は細くてスラっとしているのに、右は節くれだっていて、いかにも《労働者》という感じ。

お風呂に入っていてつくづく見比べながら、《私の人生はこの右手のように、ガムシャラに働き続ける運命にあるのかも知れない!その代わり、左手では美しいものを追い続け、一つ一つユメを実現してゆけそうな気がする・・・ずっとこの武骨な右手に支えられながら》

そんなことをよく考えていたものでした。

月日は忽ちのうちに流れ、気付けば齢よわい九十!私の人生、全くその通りだったと思います。戦後《引き揚げ》のトバッチリでどん底生活を強いられ、目いっぱい働き続けました。

でもその分、左手はどんな事態に陥ろうと私に詩を書く喜びを忘れさせず、音楽にもそして多くの文学や絵画にも、その美しさを求めて常に導いてくれました。

中でも歌を逆さから(逆再生で)歌って、その神秘の淵を垣間のぞき見ることが出来る・・・というのが私のヘンな特技なのですが、これは大袈裟でなく《神の啓示》であり、左手からの贈り物とすら思えてならないのです。

ところで肝心のその後の結末は?といえば・・・以前虫さされでお世話になった皮膚科の先生にその後すぐ見て頂き、やはりちょっとした傷からのバイキンのせい、ということで抗生物質を出して頂き、腫れもすぐに引いてきました。診察が終わっての先生のお言葉、

「前回と同じように体内に菌が侵入したのだと思いますが、これは中田さんの《免疫力の低下》のせいもありますよ。体調管理にはもう少し心を配ることですね!」

長年の習慣、午前二時就寝・・・この歳では、やはりムボウ過ぎるのかなぁ?