KIRACO(きらこ)

Vol151 「後藤新平伝」創作十年

2021年9月9日

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Vol151 「後藤新平伝」創作十年

4月13日、後藤新平のお墓参りで青山墓地へ。
命日の墓参は初めて。孫の河﨑充代さんら、藤原書店後藤新平研究会の先生方と御一緒。
市ヶ谷・私学会館での同書店二十周年披露宴にも出席したが、これに先立って、川勝平太静岡県知事の講演会が開かれた。学者の世界から県政へ。
学問に裏打ちされた知事の言葉には説得力がある。

私が二ッ目の頃、JC新年会で静岡の歴史を講談で紹介する機会が。
音楽や動きのある芸と異なり、内容をある程度、聞いて頂かなければならない話芸は、パーティの余興としてそぐわない。
せっかく出演料を支払っても、依頼者はもとより、良い芸の出来なかった出演者側も不愉快になるのは目に見えている。
売り手も買い手もともに良しとはいかないものか。
然るに乾杯前、会の冒頭に講談の出番を作るとか、あまり難しくない内容のネタを短くまとめるなど、やり方次第で出来ない事はない為、私の場合、全くお断りをするというわけではない。JCも、紹介者の顔を立ててお引き受け。
長年の経験を元に、会の進め方等提案をして差し上げたが、「大丈夫、私達が司会なので、皆にしっかり講談を聞くように言うから。」と自信満々の若手経営者たち。
当日、酒宴半ばに出番を作られてしまい案の定、誰も聞く耳を持たない状況。
そりゃあそうでしょう。
新年会は挨拶して、名刺交換をする場ですから。
話術のプロの指摘を全く無視し、素人がうまく進行出来るはずがない。
しかし、ギャラは頂いているわけで。持ち時間をしっかり務めねばと、ため息混じりに舞台に立ったその時、主賓席から真剣な眼差し。
騒がしさの中たった一人、講談の終いまで、耳を傾けてくれていた方が誰あろう、川勝知事だった。話し上手は聞き上手というが、話し手に対する敬意が伝わり、感激した。

講演会直前、藤原社長に機会を頂き、知事に以前のお礼を申し上げ、後日お便りを差し上げると程なく返信が。市川船橋戦争を戦い、後に沼津市で顕彰されるようになった江原素六伝を私が創作口演した際の「きらこ」連載の写しや新聞記事等をお読み下さり、「いずれひと節拝聴したいものです。」と直筆で。
知事は、江原素六の著書の復刻版の序文も執筆されるなど造詣が深い。そればかりか、目下県民の関心事の一つ、リニア工事に伴う大井川の水問題の資料を、お忙しい知事が、手ずからまとめて郵送下さった事には恐縮した。
知事には、コロナに加え、熱海市伊豆山の土石流事故など課題が山積している。

7月3日、日本プレスセンターでの「後藤新平シンポジウム」に三年ぶりの出演。
後藤が最後のご奉公として取り組んだ「政治の倫理化運動」がテーマ。講談は、日清戦争帰還将兵の検疫事業、つまり水際対策に成功した件や、政治の倫理化全国遊説では、病を抱えてなお命がけで語りかける後藤伯の姿に、多くの国民が心を鷲掴みにされたという、現代の政治家には、大いに見習ってもらいたい部分を加えて、改訂版「後藤新平伝」として口演した。
シンポの司会役、テレビでおなじみ橋本五郎さんからは「この講談を聞けばシンポジウムはやらなくてもいいな」と一言。パネリストでは、銀行を舞台にした小説で名高い江上剛先生が、「面白かったねぇ。」と笑顔で。
疫学者の三砂ちづる先生からも後日メールで「唯一無二の講談でした。」と、おおむね好評を頂いた。
ちょうど、私のコーナーが終わったところで会場に着いたのが母親。
静岡の実家から駆けつけるつもりが、熱海で土石流が発生、新幹線の到着が遅れてしまった。
政治のみならず、あらゆる分野で実現されねばならぬというのが、後藤の言う倫理化。
人の道に外れるような事をしてはならないという倫理観が開発業者にあったなら、盛り土の崩壊、土石流で多くの命が失われる事はなかったかもしれない。

前号に書いた、新平が滞在した保田の〝破れ寺〟存林寺。前住職(東堂)の奥様からお電話。6月3日に亡くなった東堂・山本良寛さんからの言付け。
寺の正しい歴史を伝えておきたかったという。
元来、存林寺の住職は、地元の人間が代々務めてきたが、沖縄で戦死。戦後、住職の居ないこの寺に来たのが、東堂の父親で16世住職の龍麟さん。
この人が寺で民宿を開く。
折からのブームにのり大勢の海水浴客が。
檀家の協力も相俟って現在の広い伽藍を整えるに至った。
かつて龍麟は、吉田内閣の農相で僧侶の、広川弘禅の書生。
広川が開いた、世田谷・青葉学園の生徒も、存林寺でよく合宿をし、16世住職以前も、存林寺は、身寄りのない子をあずかったりもしていたというが・・。
明治27年、失意の後藤新平が身を寄せた千葉の海。
しかし何故、新平は存林寺を選んだのか?いまいちわからない。
情報をお待ちしている。

なかの芸能小劇場でのトークショーにお客として伺う。
劇団にんげん座主宰・飯田一雄先生がご出演。
私も所属する、笑文芸サークル「有遊会」の会員でもある飯田先生は、私はもとより、亡き師匠・一鶴と深いご縁が。一鶴のお別れ会で弔事を頂いた。
浅草軽演劇の生き字引ともいうべき飯田先生の飾らないおしゃべりが印象的。
中でも松坂昇龍という芸人の話。
いわゆるドサ回りが多く、はじめは劇団を作ったが、皆離れていってピンで活動。主にキャバレーで、客に軍服を着せて殴られる芸や、吉良や浅野、四十七士を一人で演じる〝ひとり忠臣蔵〟など芸は達者だったが、岡山のキャバレーで、三波春夫の歌真似で見得を切った時、アクリル板を踏み抜いて、舞台で死んだ。年齢は六十手前。「60歳の百恵ちゃんを、木馬に出てやってみたい。」が、飯田先生との最後の会話。すごい芸人がいたものだと思ったが、昇龍さんは、浅草に出てない(入れない)土手芸人と言われていたという。
幼い頃から、浅草に立つ事の出来た私は、幸せ者だったのだ。7歳が東京で初舞台。その浅草・木馬亭で11月25日、久々自分の講談会を。前名「駿之介」と名付けられて二十年、子供の時分から数えたら芸能四十年の節目の会となる。
我が家の引越しなど何かと手伝ってもくれる、気の合う芸人仲間を集めたら、浪曲・落語・漫談と話芸の見本市に。
人情味ある橋本五郎さんをゲストに対談も予定。
これも後藤新平のご縁。
東日本の震災をきっかけに始めた後藤伝も、創作十年の節目となった。