二、三日前まで、さるすべりの赤い花が鮮やかに咲いていると思ったら、今朝は強い風に吹かれて、落ち葉がひらひら舞いおりている。
半袖では寒い気がして、急いでカーディガンを羽織った。
年を取ったせいだろうか?
季節の替りかたが早く感じられてならない。
コロナのおかげで本当に何もかも出来なくなってしまい、時間があるのに落ち着かない毎日だ。
私は、千葉の銀座通りで「ラウンジ夢子」という会員制クラブをやっている。
もちろん儲かればいいのだけれど、飲み放題で五千円の料金だから、下手すりゃ人件費もでないのが現実。
ただ店を囲んでステキな人の輪ができたらというのが目的なのだから仕方ない。
昔、父がその目的で「水穂クラブ」というのをやっていたことがあった。
親不孝ばかりしてきた私なので、せめて一つ位、父の思いを繋げたらと考えたのが、「ラウンジ夢子」なのだ。
だから、店をやるときは「水穂クラブ」の名にしようと思っていたが、皆さんに「夢子」を勧められて「ラウンジ夢子」になった。
「夢子」というのは、私が書いた本の題名なのだ。
私には一番の長編小説で、五刊で終わるのだが、現在三刊まで出ている。
さぼり屋の私としては完結するのは何時やら・・?と、自分を叱っているのだが、中々捗らずにいる。
書くのは大好きなのに、取りかかるまでが億劫なのだ。
子どものころから本を読むのが大好きだった私は、コロナのため出来てしまった時間を読書にあてた。
それには、まず本を買わねばならない。
タクシーで、本屋さんへ行く、ところが馴染みの本屋さん二軒とも店を閉めてしまった。やっと一軒だけ見つかった。
ただ欲しいと思っていた本は売ってない。
タクシーのドライバーさんは、大石君といって私を十年以上乗せてくれている。
最初に乗せてくれた当時はまだ少年と呼んでもおかしくない男の子だった。
優しくて、真面目な青年だ。
私は自分の実の子はいないが、歌手、俳優さん、議員さん、サラリーマン始めいろんな職業の男の子や女の子がたくさんなついていてくれる。
ひっくるめて、そんな方々を「吉成組」と呼んでいるらしいが大石君もそんな中の一人だ。
「三・一一」の時、夢中で走ってきて、私を迎えに来てくれたのも大石君だった。
こんな人達に囲まれて私はとっても幸せだといつも感じている。
大石君は今は個人タクシーの社長として張り切って働いているが、私が少し風邪気味だと言えば、元気の出る食べ物を買って来てくれたり、足が少し痛いと愚痴れば杖をプレゼントしてくれたりする。
こんな優しい人達に支えられ、私は楽しい日々に感謝するばかりだ。
「ブックオフ」に行ってみた。
一度読んだ本もあるし。
読みはぐっていた本があった。
私は両手に持ちきれない程の本を買った。
一日三冊のペースで手当たり次第読んだ。
少しも飽きないのが自分でも不思議。
コロナのお蔭で何一つ、いい事なんてないのだけど、本を思いっきり読めたのが、いくらかの気休めだろう。
人が好き、集まって楽しく騒ぐのが好き、おしゃれが好き、美味しいものを食べに行くのが好き、こんな浅薄な私の願いは、いつまでも元気で行きたいところへ出かけたいものだということに尽きる。
先月は京都の南座へ芝居を一泊で出かけ翌日は名古屋に移動、御園座で梅澤さんのお芝居を観た。
そして戻ってきて、あくる日は新橋演舞場で観劇。
どっぷり芝居づけの三日間だった。
観劇も好きなことの一つだけど、私は仕事として芝居上演のための企画、プロデュース、演出も職業にしている。
自信がないくせに好きなのだ。
この仕事もコロナのため、全て取りやめになってしまっている。
来年の夏には、出来るだろうか?、と考えながら再開できる日に備えて、あれこれ頭の中で企画している。
その年齢になってそんな事やらなくてもというのが正しい意見だとわかっているのだけれど一方では、好きな事やるのに年齢など関係ないじゃないという気持ちも強い。
みんな同じかもしれないけど、幾つになっても自分の老いていくのは、実感がない。
気持ちだって若い時と同じなんだもの。
でも、階段の上りがきつく感じたり、少し長く歩くと腰が痛くなる。
そんな時、やっぱり年なんだなあと実感する。
それに、それに、私より年長の方がなくなってしまっている。
本当に淋しくなった。
一人静かに本を読んで過ごすのもいいけど、やっぱり私は、気の合う仲間やいろんな方々とご一緒しているのが好きなんだなあとつくづく感じているこの一カ月余りの日々だった。