疊の略字が今の畳で、疂とか疉などの異字体もある。畾と宜とを組み合わせた形である。
畾は重なる、宜はまな板の上に重ねる美食の意味。
畳は重なる・たたむの意味を表す。
国語ではたたみの意味に用いる。
山々とか人々とか同一の単語を重ねて一語とした複合語を畳語という。
送別の曲として有名な王維の詩がある。
その第四句「西の方陽関を出でなば故人なからん」を繰り返し歌う。
これを陽関三畳という。
日本の畳はどう見たらいいか。
古いものでは『古事記』に、倭建命の后弟橘姫が海神の怒りを鎮めるために入水する場面「菅畳八重、皮畳八重、……を波の上に敷きて、その上に下りましき」とある。『万葉集』には、虎を八頭生け捕りにしてその皮をたたみに刺し、八重畳を作る……とある。
奈良時代には薄い敷物を何枚か重ねて刺したものを畳といっていた。
また、今のように部屋全体に敷きつめるものではなく、一人が座れる場所だけのものであり、身分によって畳べりの色や紋様に定めがあった。
部屋一面に畳を敷き詰めるようになったのは室町時代からで、その敷き方もいろいろの方式が生まれ婚礼や葬儀のときは敷き替えをした。
かつて畳表は岡山産備後表の生産量が一位を占めていた。
今は熊本・広島・福岡の順とか。畳の寸法は京間や関東間などと地域ににより差もあるが、基本の幅はイグサの長さで決まってきたらしい。
一畳の半分が半畳、江戸時代芝居小屋などで観客に貸した一人分、畳半畳分のゴザ。これを投げ入れることで、役者の芸に対する不満を表したことから転じて、他人の言動に非難・からかいの言葉を投げかけることを「半畳を入れる」という。
畳の縁を踏むのは無作法だと言われる。縁の布に家紋が織り込まれていたこともあるし、それよりもすり減ることを避ける意味もあったという。