KIRACO(きらこ)

Vol154 無法者は誰か

2022年3月3日

独断独語独り言

コンコンコンコンと…此奴は狐であったのか。毛並みに白いものが混じるところを見ると定めし年老いた九尾の狐か。確かめねばならぬ。

「…だから狐相手に戦っちゃダメ。イタチも大きいドブネズミも絶対ダメ。窮鼠は怖いんだから。強い敵にあったら逃げなさい。こらっ!ちゃんと、聞いてる!?」

尻尾は無いようだ。が、隠しているやもしれぬ。油断は禁物だ。 

「まぁ、ぐるぐると。お腹空いたの。この眼、霊感というか第六感があるというか、凝視められると心まで見透かされているみたい。」

其方の浅慮など、霊感なくとも分かろう。我が一族に年老いて猫股と化すものがおる。皺から察するに其方もそろそろ妖怪化する時期か。それにしても「有り難い説教も馬耳東風」などと抜かし、我を馬呼ばわりしよる。教養が足りぬか躾が悪い故か。せめて釈迦に説法と言えまいか。これ、いつまでも懇々と説教などせずとも良い。早う食物を持って参れ。

マリアンネの肌荒れと老体の風化は詮方無い。が、我が領土の荒廃と無法地帯化には心を痛めておる。このところ領民の逃散が目立ち、我が宮廷を美声で満たした可憐な歌姫、鷦鷯、四十雀、青雀等の姿が消えつつある。代わって流入したのは黒装束も怪しい烏合の衆。厄介者と呼ばれる鳩共。住宅地に烏が増えるのは街の荒廃化の始まりだと言われる。しかし我は支配者として、分け隔てなく領民の面倒を見る。食傷気味の時には家人に申しつけ、馳走を飢える民に下げさせ穀物も仕入れさせる。衆も様々、肉食雑食、遠来飛来の客である。特に手厚く保護されるハリネズミには我が主食が最適という。晩秋の頃、独り立ちするには未熟な若い衆が、夜行性にも関わらず昼日中徘徊しておれば、家人に命じ保護観察処分と致す。良い若者が(栄養)不良になっては領国の存亡に関わる。体重が500gを割れば越冬は難しい。その際は我が城中、地下にでも宿を与えねばならぬ。が、幸い我が領内の民はそのような境遇には落ちておらぬ。マリアンネの無精故に、落ちた果実も病葉落葉も「これこそ自然」と放置される。「落葉も何もゴミとしか見做さない人間は食物連鎖もビオトープも理解しない」と嘯き大義名分にしよる。『日々是口実』は此奴の得意技。しかし落葉の下には虫共が生息し、ハリネズミの糧となる。林檎も降雪の頃には丁寧に啄まれ、鳥共の飢えを満たす。数年前までは近所の草原に、日没頃は野兎が跳び、鹿の群が轟とともに駆け抜けた。春には真黄色の菜の花畑を背景に、赤い頭も誇らしげにメタリックに輝く青緑の胸を張り悠然と歩道を闊歩する雉もおった。ひと昔前のある真冬の早朝、玄関を開けた家人はその瞬間激しい羽撃きとともに目前から飛び立った雉に度肝を抜かれたという。つまりその頃から既に食料は不足し始めたのであろう。雉が人家の庭に来ることは先ず無い。夜間カメラには下され物を食する狐の姿も映っておった。涙を誘う姿である。どこでどう生きておるのか。

彼らの姿に取って代わったのはコンクリートの巨大な塊。林立するクレーン。夥しい路上駐車の車の列。ライフラインも整備されぬまま無計画に西部の村のような地域で20年間に3万余の人口が5万人を超え現在も急増中である。荒廃は止まるところを知らぬ。州全体を見れば毎日12ヘクタール近い緑地が侵食され消えていく。40年の昔、カナダからバイエルンを訪れた知人が「このまま乱開発を続けると大変なことになるぞ」と警鐘を鳴らしていった。1972年のミュンヘンオリンピックの際に併合された近隣の村はほとんどが農家で、その名残の広大な敷地に『ポツンと一軒屋』が多かった。しかし地価の高騰で高齢者が亡くなると土地は売られ樹木は伐採。二戸建て住宅、多世帯住居がぎっしりと並ぶ。猫の額の土地は車のため、テラスのためとコンクリートや敷石で全面固められ、手入れの楽な鉢植えが並ぶ。昆虫も小動物も侵入者、落葉もゴミ扱い。見るものなければ塀越しに隣家に投げ捨て、逆に風で落葉が入ったと警察に通報する輩もいる。人間共の利己主義には果てがない。芝が植えられても自動芝刈りロボットが休みなく稼働し、名もない小花の咲く暇も無く、小動物、成育中のものは引き裂かれもし犠牲になる。ミツバチの死滅を心配し署名を集めながら、大事な生息の場を悉く潰してゆく。ハリネズミの最大の死因は轢死である。危機を察してもその場に蹲る彼らに勝機などあるはずもない。駐車場もない者に2台3台の大型車が必要か。環境保全を口にしながら400馬力のエンジンが必要か。大脳が発達した万物の霊長などと傲慢な名乗りをあげる資格がどこにある。

言うに事欠き、この者共は「鳥の数が減っているのは猫の所為である。猫税を課すべき」などと言い出す始末。笑止千万。西部の王者を自覚する我輩とて、冬将軍に対峙するには分厚い鎧甲冑に身を固め互角に戦う。が、空軍相手には戦果は限りなく無に近い。

機あらば、領内の池の端の「考える葦」に問うて見たいものである。

真の無法者は誰なるぞ。