角のある牛を正面から見た象形文字。羊も同じようであるが、比べてみると牛のほうが大きな角になっている。横の線は出張っているのが特徴の腰の骨、縦の線は体ということになる。古代中国ではウシやブタは祭りのときにお供えするいけにえとして使われた。
牛は体が大きいから、真ん中から二つに分けることを半という。二つに分けてもその肉(月)の分量は豊かであるので、胖(ハン・ゆたか)となる。
古代遺跡から見ると、日本でも弥生人などは牛馬を食用にしていた。六世紀半ばに仏教の伝来とともに肉食は禁じられてしまった。しかし、表向きはそうであっても、ひそかに肉食は続けられていた。江戸時代にも堂々と牛は殺され、その肉を味噌漬けにして、近江の彦根藩主から徳川将軍家に献上されていた。彦根藩だけに唯一食用肉として認められていたものだから、他の藩にも分け与えられていた。
困ったのは幕末に外国から来た人たちである。アメリカから伊豆の下田にやってきたハリスは、宿舎の玉泉寺境内で牛を殺し、国内での牛肉を手に入れたという。横浜や神戸に外国人居留地ができると、牛肉を供給する土地がない。牛はアメリカや中国から船で運ばれ、船上で肉にするしかなかった。これなら日本人に嫌われないで済む。外国人の肉食用に殺されるようになったのは、慶応二年に神戸で、但馬牛が初めてという。
明治になると近江牛が横浜に運ばれ、その十七年から三重県の四日市港から近江牛の輸送が始まり、神戸港から京浜地方にも運搬されるようになったといわれる。
最近は毛筆をあまり使わないためか、筆順無視の書き方が横行している。牛と違い、牧・物といった牛偏の字はノ一丨の順に書き、最後は下から跳ね上げる線となる。