KIRACO(きらこ)

Vol156 素材を集めじっくり煮込む

2022年7月7日

独断独語独り言

何かを表現しようという行為は日々の料理に似ている。それも特別な晴の料理ではなく、普段の食事、褻の料理だ。

このところ市民講座で料理教室もしている。名前のある料理はできない、と決して威張れない自覚は十二分ある。正直申告、実はお節料理も作ったことがない。器用貧乏とも言い難く、単なる不器用&ビンボーな私だ。それを物語る息子の一言。彼がまだ幼児の頃、夫は日本への出張が多かった。出発が近くなった頃「パパはいいねぇ、日本のご飯おいしいもん」と言う。「美味しいものって、なぁに」と念のために訊いたところ、答えは「卵ご飯とか…」。ちょっと絶句、かなりがっくり。息子にとって美味しいママのご飯は「卵ご飯」。あれは料理と言えるのだろうか。ま、とにかく極力材料は現地調達可能なものに限定。コメだって最安値のミルクライスを使っている。イタリア米で水稲ではなく陸稲だ。小学校で習った「おかぼ」。まさか常食するようになるとは当時予想もしなかった。

日本の方はたじろぐでしょうが、パッケージのレシピによると:4人分、1リットルのミルクにバニラと塩少々を加え沸かす。220gのライスを加え中火で時々かき回しながら40分煮る。甘みはお好みで。これはこれで美味です。が、洗米しない。洗ってみるとギョッとするほど真っ白なとぎ汁が出て、まさにミルクライスなんだけど。なので私は日本風に米を研ぐ。けれど物がない時代、この短粒米が最も日本の米に近いと苦労して辿り着いたのは、この地のパイオニアの先輩方だ。40年ほど前は100万都市ミュンヘンと雖も「日本料理店」はただ一軒。世界のミフネに所縁の店があったのみ。フツーの市民に極東の島国はほぼ無名の存在だった。先達の苦労を無にしてはいけない。今では材料費に糸目をつけず高価な食材を使うなら(できる人は)「和食御膳」と呼ぶにふさわしいものを提供できるだろう。けれど素材が余りにも特殊、高値であると先が続かない。1㎏千円もする日本米で材料費を徴収することはできない。でも構うことはない。何も告げずにこの最安値の陸稲で寿司を作りもてなしても「外で食べるよりずっと美味しい」と言ってもらえる。料理教室でも炊き上がり、味を見てミルクライスと知ってほとんど皆、呆然とする。その顔を見て北叟笑んでいる。水加減もいい加減。米を均してそこから指の第一関節まで。調達も調理も簡単(ズボラ)であることがモットーだ。で、手始めは「餃子とおにぎり」。だって焼き餃子は日本での進化形ですもん。そもそもここでもアジアショップでGYOZAという名の下に冷凍の皮を売ってますもん。あれは日本語、中国語ではJiaoziだそうです。もはや寿司も陳腐になってきたこの頃、どんな地方の小さなスーパーでも冷蔵、冷凍寿司を置く。肉屋でさえ寿司コーナーを設けているところがある。私が所属する市民講座でも、お名前からして東南アジアの方が「スシ教室」を開催。そちらはお任せ。寧ろ「他文化」の方のほうが工夫を凝らすものだから。私なら「マンゴーとクリームチーズの巻き寿司」なんて100年経って思いつかない。でも失礼ながらワザとじゃないけどプログラムでは隣に『寿司ばかりが和食じゃない!』と日本人の普段の食卓、と銘打って掲載されている。おにぎりはアニメの影響で若い人を中心にブーム。思い起こせば漫画の主人公って、年中おにぎりを食べていた気がする。日本旅行も敷居が低くなってから、安い費用で長く滞在。食事はコンビニのおにぎりで、という通も多い。商品棚の右から左へ全種類制覇!を目指す。今季のテーマはお弁当を作ろう!だ。味噌を買ってみたものの、味噌汁しか知らない人々に応用編「鶏の味噌漬け」など紹介。文化功労者になれないかなぁと妄想する此の頃である。

お弁当完成!
デザートは今人気の大福モチ

ふだん料理をする人、せざるを得ない人なら、まず冷蔵庫を開け、野菜籠を覗き、さて何ができるか、と考えるだろう。あるいは旬の食材を買ったら、それを中心にあるものを合わせ献立を考えるのでは。私はそれを食物連鎖と呼ぶ。勿論自然界の弱肉強食、生命の連鎖ではない。食材というのはふつう、使い切りはほぼあり得ず、半端に残るものだ。キロ単位で買った人参、ジャガイモ、玉ねぎなど、日替わりで姿を変えて登場する。残り物の連鎖反応だ。

コロナ禍のさなか、ロックダウンによるホームオフィスや人混みを避けたいという気持ちの結果、食材宅配業者の業績が飛躍的に伸びた。あちこちの家庭で同じ食材を同じレシピで調理し同じものを食べている。想像するとちょっと奇妙にまた滑稽に感じられる。自分の好みとも言い切れず、残り物を利用する、ということも難しいだろう。

手紙文さえ今は、キーワードを数単語入れるだけで人工知能が作成してくれるそうだ。自分で書いたはずの内容を、果たして把握しているのだろうか。

素材を目にして、あれこれ手に取り組み合わせ、鍋に入れ、じっくり煮込み相性の良い香辛料、調味料で味付けしてゆく。この過程はこうして文章を書くのと同じだ。ある言葉をきっかけに、様々な思いが記憶が一気に蘇る。連想は蛸の足のように四方八方に伸び、吸盤で言葉を寄せ集める。それらを大鍋に入れ、あとは時間をかけじっくり煮込み、言葉の連鎖反応を待つ。時々かき混ぜ灰汁を掬い、香辛料を加え味を整えてゆく。味見しながら、つまりはこれが推敲。

講座でも手作りの良さは「私に美味しい」を作れることだと強調する。いい塩あんばい梅とは「塩と梅酢の微妙な調和が自分に合うことです」と。どんなに高級レストランであっても塩加減が合わなければ、それこそ家で卵ご飯を食べた方が断然美味しい。

人工知能もセットの宅配も便利だろう。でも熟成させた自分の味をこそ供したい。