KIRACO(きらこ)

以前、《アラフォー》なる新語が産まれ、『アラフォー女性』とか、『アラフォー世代』など、テレビや女性週刊誌を賑わせた一時期がありました。

確かに四十歳というのは、殊に女性にとっては微妙な時期だと思います。

私はこの坂を目前にした頃の、何とも言い表し難い寂寞感を思い出すのです。

そしてその頃、母が教訓めかして言った言葉、

「人間はね、四十歳になったら、道を歩くときも真っ直ぐ前を向いて歩くべきなんだって。余分なことは考えるなって事なのね、きっと」そんな言葉を思い出すのです。

つまりそれは「不惑」という、古来からの教えを平たく言ったものなのでした。

《不惑= 四十(し じゅう)にして惑わず》

なのですが、果たしてこの言葉、現代の女性にも受け容れられるものかどうか。答えはもう絶対に「No!」ですよね。

当時私が感じた一抹の寂しさ…それは今にして思えば(私、何の為に生まれて来たのだろう。このまま今までと同じようにただの《女》として人生の幕を閉じる?そんなの寂し過ぎる。)

その頃のアラフォー女性たちがどんな軋轢のもとに生きていたか!

信じられないかも知れませんが、当時は職場でもお茶汲みはすべて女性。

だって自販機なんてまだないし、お湯を沸かして一人ひとり注いで廻っていた。家庭でも殆どが亭主関白。

可哀そうだったのは私たちより四〜五年早く生まれた女性たち。

戦争で沢山の命を失った日本の若い男性、当時の結婚適齢者について、「男一人に対して女はトラック一台分!」この言葉はよく耳にしたものです。つまり、(そんな中で俺はお前を拾ってやったんだぞ!)という風潮が社会全体に流れていたのです

さて翻って現代を眺めるに、《プロポーズ》段階でオタオタしている男どものなんと多いことか!

彼らにとっては昔の世相はさぞ羨ましいお話に違いありません。

しかも!です。今のいわゆるキャリアウーマン、《結婚》なんてまるで念頭にない、そんな女性も多く、それぞれの能力を生かしてキラキラ輝きながら立派に生きている…しかもその能力たるや男性そこのけ。

つまり彼女らにとっては「アラフォー」というのは、昔私が感じた寂しさどころか、「さあ、これからだ!私の人生は…」というところなのでしょう。

こうした人生の《区切り目》、というか新しい幕開けの時期って確かにあるものですよね。

で、次なる節目。それが「アラ還!」そう、《還暦=六十歳》です!

人によっても違うとは思いますが、一般的な家庭では子供たちが独立し、これで一応親としての務めは成し終えた。さあこれから何をしよう!

そんな時期で、これまた昔との比較になりますが、昭和の半ば近くまで、還暦といえば家督を次世代に譲り、悠々自適の老境生活に入る…そういう風潮だったのです。

信じられませんよねえ。!冗談じゃない!私は心に叫んでいました。

あのアラフォーで感じた一抹の侘しさ、あれは一体何だったんだろう?

周囲におもね、ビクビクしながら生きて来た自分自身。それがなんとも口惜しかった。

神様から賜った、たった一度の人生。このままでは申し訳なさすぎる。

その思いはアラフォーを越えた頃から、私の中でまるで炎のように燃え盛っていったのです。

還暦が迫るにつれて、私はもうじっとしていられなかった。その前年、五十九歳で取ったクルマの免許。愛車カローラを走らせ、朝まだ暗いうちに家を出、九十九里の波乗りロードへ向かいました。

自分が《六十歳》を迎える朝の、海から昇る日の出!これを絶対ビデオに収めて来よう!

そう、自分自身の決意のほどをシッカと留めておく、その為にも…

その頃のビデオ機器と言えば担がなければならないくらいに重かったものですが、よほど体力もあったのでしょう。

あれから三十年。瞬く間に流れた歳月でした。

目の不自由なヴァイオリニストへの朗読奉仕。逆さ歌でのテレビ活動。自宅音楽教室の生徒とそのおかあさまを総動員しての人形劇ミュージカル上演。

いえ、それより何より《きらこの編集長さま》からお声がけ頂き、こうして思いの丈を書かせて頂いている…

《還暦》に感じた武者震いは、今も変わらず続いているというワケです。

アラ還の皆様、この先の貴重な歳月を如何に生きるか?それはご自分の夢と決意の大きさ次第!

何だかワクワクしてきませんか?