KIRACO(きらこ)

新しい年がやって来た。子供の頃はお正月が近づくと何だか嬉しくて「早く。こいこい、お正月」なんて歌いながらはしゃいでいたものだ。それには祖母が、お正月用の晴れ着を作ってくれたからもしれない。

戦争がやっと終わり、日本はとっても貧しかったのだけど、明治生まれの祖母にとっては二人いる幼い孫娘にせめてお正月位、晴れ着を作ってやりたいという願いが強かったのだろう。今の人(戦争を全然知らない方)には、絶対に考えがつかないと思う。ほんとに日本は、食べる物、着る物を始め、何にもなかったのだ。靴だって、洋服だってない。

村の男性は、ほとんど兵隊に行った。戦死の公報が来た村の人々がかなりいて、戦死された人の子供たちはその日から父親の無い子になってしまったのだ。男の子も女の子も来ている物もひどく、草履を履いて学校に通っていた。

お弁当も持って来ることが出来ず、お昼抜きの子もかなりいたのだ。でも日本人の努力と、底力は強く、日を追う毎に立ち直っていったという。戦争に負けて、たくさんの尊い人の命を失い、東京は焼け野原、おまけに広島、長崎には原子爆弾が落とされ、本当に子供たちから大人までいっぱいの方々が犠牲になった。

戦争が終わってから七十年以上の月日が流れている。現在の日本は豊かだ。欲しいものは何でも手に入る。そして平和だ。平和であることは、何よりも大切なことだと私は思っている。戦争は絶対にあってはならない。

「極楽とんぼ」、私のことを生前亭主の儀ちゃんはそう呼んでいた。世の中のこと等何一つ考えないで私が興味を持つのは、おいしいものを食べることとおしゃれをすることで、その他は興味を持たず毎日を過ごしているからだそうだ。

「失礼しちゃうわ」と、その時は怒ったりしたが、そういうところがあったのかもしれないと今では少し反省してはいる。儀ちゃんが生きている時は、頼りっきりで、難しいことなど考える必要はなかったもの。それがいいことだなと思わないけど、近頃少しは、世の流れなどに女性でも興味を持つべきだとかなり真面目に考えている。

そのきっかけを与えてくれた一人が女性建築士、もう一人の女性は大学教授。この二人から同時期に女性も、もっと勉強すべきだと言われたのが大きな原因なのかもしれない。

このところ十年くらい、暮れからお正月にかけては、幕張のホテルグリーンタワーさんで、ゆっくりさせてもらっている。読みたい本を何冊かかかえて、読書で一日を過ごすというのが目的なのだが、実際は何ページも読まずにチェックアウトするのが現実だ。

私が日頃かわいがっている女の子や男の子が入れ替わりで遊びに来てくれるからだ。私のこどもに近い年齢なのに、何故か、一緒にお正月を迎え、過ごす。職業は様々だけど、みんな素直で可愛い。もっと、もっとこの子たちの役に立ってあげられればいいんだけど・・。でも私としては精いっぱいの協力をしているのだけど、なかなか・・。

女の子には、早く結婚して、赤ちゃんを産んで欲しいと言っている。三年ほど前に私の吉成をつけて「吉成ゆい」の名前でシンガーソングライターとしてデビューした娘が今年初めて「結婚したいので、誰かいい人がいたら紹介して下さい」と言った。「ホント、そんな気持ちになったんだ。じゃ、一生懸命探してあげるね」と返事をしたものの、すぐに候補者が思い浮かばず残念。

歌が大好きで沖縄から一人で出て来て東京に住み、もう六年になるのかな?。東京や千葉の人が多く集まる場所で路上ライブをずっとやっていたらしい。ある夜、私の店に長年の友人が「この娘とってもいい娘だし、歌もなかなかのものだよ、面倒見てあげて」と言って連れて来た。一度皆の前で歌ってもらったら上手だし、小柄でなかなかかわいい。結(ゆい)という芸名で歌っているのだが「吉成ゆい」
にしたいと本人と周りが言うので、吉成ゆいという名前にして、きちんとしたプロダクションに入れて頂いている。だけど、芸能界というのは、とっても大変なところだ。上手でも、綺麗であってもなかなか芽が出ない。たくさんの競争者の中から世に出るのは、大変なことらしい。

沖縄にも帰らず、ここ数年お正月もいつも一緒、幸せになればいいなあと今年もお雑煮を食べたっけ。ゆいちゃんより年上の女優さんも常連組、彼女はよしこちゃんというのだけれど、カネボウのイメージモデルで晴ばなしく売り出した人。美人だし、スタイルもスゴクいい。映画やドラマでも活躍していたのだが、現在はすっかり落ち着いて舞台を時々真面目にやる他、ゴルフに精を出している。
何でも女優さんとしてはゴルフが非常に上手らしい。私は、高校生の時にアルバイトでモデルをしていたことがある。

よしこちゃんのお母さまはそのモデルクラブの大先輩だったのだ。そんなこともあり、親しくしているのだが、明るくてお酒が強くて、さっぱりした性格なので、幸せをつかんで欲しいと眺めている一人だ。その他、音楽家を目指している男の子、政治家志望の子だったり、様々な子供たちが集まってくれるので、私は幸せだと思うし、楽しい。一年、一年、年を取っていくのは当たりまえだし、いつの間にか私より年上の方々は残り少なくなっている。淋しい。私はよく考えなくても、十分年配者の方に入る。

でもね、これまで通りやりたいことはやろうと思っている。だけど、無理かな?と感じたものはやらないことにする。人様にも自分も無理はしたくない。この間「私たち二人でお正月くらい、ゆっくり映画観ない?」と誘われた。ゆっくりと映画を観た。その後食事をした。「これからは、時々こんな時間できるだけ取ろうね」と友は言う。

そう、今年は好きなお芝居を観たり、楽しいことたくさんしようっと。