KIRACO(きらこ)

vol161 涙の講談教室

2023年5月11日

一鶴遺産

平成26年4月に開講したのが、鶴遊講談教室の東京校。文京区の狸坂文福亭で第三火曜日の一時から四時まで月に一度、生徒の講談研究の成果をお聞きしている。自主性を尊重して演目の強制はせず、古典の名作はもとより新作講談作りまで、各々がお好きな一席に取り組んでもらっている。講釈の釈とは、己の解釈の釈でもある。同じ読み物であっても、演じ手によって違いが生まれるところが講談の醍醐味。また、講談は客席との相互作用。客の反応如何で、演者が元気づけられる事もあれば落ちこむ事も。生で直接聞いて頂いてこそ成立をする芸能だから、人前で演じる機会は必須。年の瀬、寄席を貸し切って開催する発表会が目標で、昨年からは、運営も生徒達自身で挑戦している。

二ッ目昇進後間もなく、「人様に教える事は自分の芸に役立つから」という一鶴の助言もあり、まずは静岡で教室を始めた。今では静岡校と東京校の交流の機会も設けていて、今年は久しぶりに、講談ゆかりの地を訪ね、現地で発表会も行う〝修学旅行〟も検討中だ。年齢は小学生から八十代、学校の先生や学生、主婦、会社員、演劇経験者等々、これまで様々な生徒さんをお教えしてきたが、講談の良し悪しには、ベテランも新人も無い。

先日、十年弱静岡校にいらした男性から「終活で教室を辞めます」との葉書がわざわざ届いた。残りの人生に講談はいらないとの思いに至ったなら、静かにお辞めになるがいい。打てば響くという言葉があるが、手を替え品を替え、様々なアイデアを提案し指導を繰り返してきたが、いくら打っても響かない、この方の受講姿勢には以前から考えあぐねていた。もちろん、親しいやりとり、思い出もあるが、来る者拒まず去る者追わずが流儀。まして素人さんの楽しみ、趣味の集まりなのだから、どなたであっても無理に引き留めはしないし、退会も欠席も、こちらから届けを求めた事は一度も無い。話し手自身が面白いと思わない、つまり本人の意欲がなければ、聞き手に伝わる話術の会得は不可能で、それが話芸の本質だ。私自身、自分の興味関心に正直ではあっても、目の前のお客様に楽しんでもらえるような演芸、講談がモットー。聴衆に、講談の心が伝わらなければ何の意味も無い。たとえ素人の趣味であっても、きちんと覚えて、上手に読めるというだけの独りよがりな講談は、我が教室では目指していない。そこが、数ある他の講談教室との違いだ。

2月の東京教室で、田中善二郎さんの「三方ヶ原軍記」を聞き、ふいに涙があふれ出た。元々紙芝居を上手く演じてみたいと教室にいらした田中さん。講談の基礎編ともいうべき難解な軍談を、たどたどしい箇所はあれども、三年がかりで無本で演じるまでになった。紙芝居講談という飛び道具的な工夫も得意な御仁だが、懸命に稽古を重ねてきた田中さんの心が伝わってきた。図らずも、生徒の講談によって私は、生まれて初めて、嬉し涙というものを知ったのだ。講談教室を始めて十五年、亡き師匠の助言を実感した瞬間だった。

2月23日、神楽坂ソシアルクラブでの「チト河内八十歳記念ライブ」で「チト河内一代記」を口演。チト先生とは江戸川区平井のご近所同士で、講談会に夫婦でお越し下さるなど、お世話になっている。ザ・ハプニングスフォー、トランザム、俺たちの旅シリーズの音楽、ジュリーのバンドなど、五十年以上のキャリアを誇る音楽家・チト河内の関わった楽曲は膨大。全てを網羅する事は難しいが、できる限りの音源や資料を集め、さらには、拙宅にご本人をお招きして二日間、八時間近く取材をして創作。当日は、ダイアモンドユカイさんなど豪華ゲストの演奏の合間に時間を頂戴したが、普段の講談会の客席との違いにとまどいも多く、刺激的な一夜に。歌謡曲・演歌の講談はこれまで多数作ってきたが、チト先生の分野は私にとって未知の領域。兄・クニ河内さんやご家族との秘話、音楽との出会い、博多の青春時代に加えて、本番前日には、先生の奥様にも電話取材を敢行。チト先生が辛かった時期、ソシアルクラブのオーナーで、平井の人気店、居酒屋松ちゃんの森潔社長が、お店のテーマ曲を依頼するなど手を差しのべてくれたと聞く。チト先生夫妻との心の交流が印象に残り、講談の締めの部分に取り入れて、人情味ある一席にまとまった。

3月から4月にかけて、今年はたくさんの桜を見て歩いた。平井は中川沿いの河津桜から始まり、橋を渡って亀戸中央公園。圧巻は小松川千本桜。隅田川は浅草の対岸、向島の桜に毎年伺うが、四年ぶりに向島一丁目町会の売店が復活。人生の大先輩達がこしらえる煮込みと酒に舌鼓。信州・諏訪は、梅も桜も一度に咲き始めて満開。諏訪の名店、鰻の小林にて6月28日、地元出身の教育者「伊藤長七伝」を伺う事となった顛末は、また次回。

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田辺鶴遊(たなべかくゆう)
名古屋生まれ静岡育ちの講談師。2歳から芸能活動。8歳で田辺一鶴に師事。東海大院中退後、前座修業の為に上京。師匠の住む江戸川区平井に転居。師匠没後は宝井琴梅門下。平成27年、真打昇進し田辺鶴遊を襲名。日テレ、エブリー特集のナレーションが好評。朝日新聞千葉版の読者投稿欄「千葉笑い」選者。5月1日には、千葉県御宿ゆかりの講談「家康の洋時計」を国立演芸場で口演するなど、新作から古典まで演目多数。静岡と東京で月に一度の講談教室を主宰。日時など詳細は下記まで。

<出演予定>問い合わせは・・03-3681-9976(みのるプロ)
◎5月5日・6月4日12時15分~「浪曲定席」浅草・木馬亭、2400円。
◎5月7日昼、「本牧亭講談会」御茶ノ水駅前徒歩0分、スカイルーム太陽。
◎5月26日13時15分~、「東京ニューヨーク寄席」平井・辰巳湯、入場無料。
◎6月28日18時半~「伊藤長七伝初演」諏訪市四賀赤沼・鰻小林。