KIRACO(きらこ)

vol162 《のりこちゃんなんて、きらい!》

2023年7月6日

独断独語独り言

薫風の五月からミュンヘンはまさに百花繚乱、空気にの香りが漂う頃から次々に花々がを競う。

待ち侘びた書道の月刊誌が海を渡り手元に届いた。船便で周回遅れで届くのは誰も予期し得なかった長引くプーチン・ロシアの暴挙の所為。人間は愚かで悪を平然と行う。

表紙に真善美と記される総合誌。各界の第一人者のコラムがまた待ち遠しい。ページを繰る中で胸に刺さる言葉に出会った。料理研究家土井義晴氏のエッセイだ。『「いい・わるい」と「好き・嫌い」を一緒にしてはいけない。』常識と理性を兼ね添えた大人には当たり前のことなんだろうな。が、そのどちらも少々不足している未熟モンの私には誠に耳の痛い言葉だ…だって「のりこちゃんなんて嫌い!」なんだから。

庭の芍薬

ある日ふと色々を思い出すと私の人生のあちこちの場面にの「のりこちゃん」がめられていた。その時々「のりこちゃんはきらい!」と決めつける幼い自分がいた。

小学校に入った初めの頃「ぬりえ」の時間があった。花の線描の横には多分「さくらがさいた」と書かれていたのだろう。その桜を「のりこちゃん」は先ずアウトラインを濃くなぞりそれからピンク、水色、黄色と色とりどりに塗っていった。「こうやるときれいに見えるって、おねえちゃんがゆった」その一言と、商店街のお祭りの飾りのように彩色された花、即「のりこちゃんなんてきらい!」になった。お姉ちゃんがいるなんてずるい。そんなの桜じゃない、と思った。うちのお兄ちゃんは塗絵のコツなんて教えてくれない。

次の遭遇は転入生の「のりこちゃん」。教科書に「スーホの白い馬」という物語があった。感想文を書いた数日後、のりこちゃんはそれを読むように言われた。のっけから「スーホはえらいなぁ」衝撃的だった。えっ!?いいの?今では何をやってもどこか規格外の私だが、あの頃は型に嵌らなければ不安な子供だった。が、問題は続いた教師の言葉。「みんな全く同じ書き出し『わたしは〇〇を読んでXXと思いました』。のりこさんは素晴らしい。」この瞬間、のりこちゃんなんかきらい!になった。それを先に言え、教えるのは先生の仕事だろう、と不信感と不満を抱いた。

三度目の奇遇は新設校の開設で短い在籍で転出していった前述の感想文の「のりこちゃん」。再会は地区対抗のポートボールだった。吃驚するほど大きく逞ましくなっていた。指導者の方針なのか、お子様の私たちに比べ大胆なラフプレーをするチームだった。服を引っ張る、体当たりをしてくる相手に文字どおり目を回している間にあっけなく大差で負けた。涙に暮れる私たちに先生は「お前たちは試合で負けたが勝負に勝った」と言った。その途端、のりこちゃんは嫌い!になった。判るようで判らない慰めもトーナメントでは詭弁に過ぎない。ラフでも反則にならなければいいのか?負ければそれで終わりなのだ。

それから何人ののりこちゃんが去来したことだろう。同業ののりこちゃん、自由人ののりこちゃん。幸か不幸かドイツでは「のりこちゃん」に出くわす確率は極めて低い。

今、旧交を温める「のりこちゃん」がいる。学校時代から綺麗な白磁のお肌の古典的美少女。プロの日本語教師でありピアノも教授する孝行娘のりこちゃん。容姿端麗のみならず聡明且つ歌舞音曲に秀でた故に玄宗皇帝の寵を一身に集めたという楊貴妃そのままのりこちゃん。大嫌い!になるには十分だ…で、気がついた。嫌いは嫉妬の同義語だった。

「嫌い」のハンを押した数多の「のりこちゃん」は皆羨望の的、高嶺の花だったのだ。私には成れない、できないことをいとも楽々成し遂げる「のりこちゃん」。自由で独創性に溢れ、目的に向かって我武者羅に戦える、才色兼備、花のような「のりこちゃん」。

今を盛りの芍薬や薔薇を眺め思う。花こそは真善美。全てが善で全て好き。

しかし嫌いなものほど深く根を張り味を持つ。花の香りに包まれて記憶の総浚いをする時季なのだろう。