年末になって鍋との関係の深いものといえば、社会鍋と鍋物であろうか。
社会鍋はキリスト教救世軍の歳末行事である。駅前広場や盛り場など、三脚を立て大きな鍋をつるして道行く人に喜捨を呼びかける。そこで集まった浄財は、老人ホームや施設などの恵まれない人々への医療費や餅代にあてるという。賑やかな街角での救世軍の呼びかけや慈善鍋を見ると、いよいよ歳末になったという感じがする。
鍋料理は古くから庶民の間では行われていた。明治以前の上流社会では、鍋で煮たものを器に移しもしないで、直接鍋から取り出して食べる、なんと下品な食べ方だと思われていた。現在では食卓で鍋を囲み好みのものを取り出して食べられる、多少の人数の増減にも対処できると、家庭料理でも営業用の料理でも好評である。
鍋料理には、寄せ鍋・すき焼き・湯豆腐・しゃぶしゃぶ・ふぐ鍋……いろいろある。江戸中期の『仮名手本忠臣蔵』にも鍋焼きの語が出てきているから、鍋焼きうどんも庶民には受けていたのだろうと思われる。釜飯は関東震災の際に上野公園で行われた炊き出しをヒントにできた一種の鍋料理である。今はフォンデュなどの外国の鍋料理も好まれている。
鍋は主に金属製で円形。釜よりは浅く、取っ手やつるがついているものが多い。鍋を使った最初は、器なり石のくぼみなどに水と材料を入れ、焚き火で焼いた小石を投げ込んで沸騰させたものだろう。とすれば木製でもよかったはずである。電子レンジでの調理ならば耐熱ガラスでもよく、鍋の材質は広がった。
平安時代の辞書『和名抄』には、現在るつぼとして使う堝が「なべ」、鍋に「かななべ」と訓があり、鍋には鉄製と解説もある。今は土鍋というが、土鍋から見たら、庇を貸して母屋を取られたような気分だろう。