KIRACO(きらこ)

vol164《 忍の一字七起八転 》

2023年11月2日

独断独語独り言

いきなり二人の大男が我が寝所に乱入し、大音声で口論を始めた。その巨躯たるや、まさに巨人。どちらの苦行がより難行か、苦痛に満ちたものか、熱り立ち声高に喚き合う。

なんという不埒な狼藉、こちらもカッとなり「喧しい!無礼者、名を名乗れ」と叱責…したいところだが声が出ない。目覚めるその直前、ちょっと萎れた二人が名乗った。なんと、シジフォスとアトラスの両人であった。

まことに鬱陶しい夢を見たものだ。
しかしこれはまた随分と意味深長な悪夢だった。あれ以来、彼らの苦役のどちらがより耐え難いかを考え込む破目になったのだ。

不条理の代名詞、シジフォス。余りに狡猾な所業で神の逆鱗に触れ永久刑に処せられる。地獄の底から大岩を山頂まで運び上げよ。しかし到達直前に岩は必ず転げ落ちる。それが永遠に続く。終わりのない無意味な苦役。不毛徒労の虚しい努力。七転び八起きならば、一回は起き上がり先へ進んだ気にもなる。が、これは七起き八転び、七転八倒だ。

謂わば悪知恵の自業自得のシジフォスに比べ、どことなく滑稽で哀れを誘うアトラス。一族が新興勢力の神々との闘いに敗れたため罰として、その双肩に天空を支え、地球を負う。全世界の重圧の下、身動き儘ならぬ。ひたすら忍の一字で耐えるのみ。

どちらか選べと言われても、どちらも絶対嫌だ。
イヤ、ちょっと待て。個人の生活も国の状況も、シジフォスとアトラスの置かれた状況と、どこが違うと言うのだろう。そう思えば心当たりはゴロゴロある。例えば…

乳幼児を抱える毎日。新生児との日々。授乳しオムツを替え寝かしつけを3時間置き。一仕事終えてからの3時間ではない。授乳から授乳の間が3時間。漸くウトウトしかけた頃、また一から始
まる繰り返し。好奇心の塊の幼児相手では、片付けの終わりは新たな混沌の始まり。しかし育児には業があり、未来と希望という救いがある。

流行の断捨離はどうだろう。捨て切れるか。日進月歩の科学技術は新しいものを瞬く間に古いものに変えてゆく。現代では永遠に捨て続けることが宿命づけられているのだ。

外国語の習得も、長い休暇の後には学習の記憶=シジフォスの大岩は地の底へ転げ落ちている。

老老介護、介護離職のその末、先の見えない日々はアトラスの苦役だろうか。

寛容と忍耐、体力の限界を超えたとき、人はどうしたらよいのだろう。

今のドイツでは納税の義務を負う市民は、まさにシジフォスでありアトラスである。2015年以来の難民流入はすでに制御不能の状態。大本営発表の如き、現実を無視した報道を外に向かって続けているが、極右と敬遠される政党が第二党となるほど成長したのは何故なのか。名前も国籍もぼかし続けた「自称難民」の犯罪も性的暴行から殺人までその多さに最早隠しきれない。北アフリカの国々はバカンスシーズンにドイツ人観光客で賑わう。そこから「一旗上げて来る」と乗り込む屈強の男どもを、強制送還しようにも出身国から引き取りを拒否される。「うちはドイツのゴミ箱じゃない!」「犯罪者など要らない!」というプラカードを掲げた母親然とした女たちが立ちはだかるニュースを見て唖然とした。何故その「ゴミ」に衣食住を完全支給、月々2万円を越す小遣いを与えねばならないのか。急騰する光熱費、家賃を払えないと慨嘆する市民は税金を滞納することは許されない。商業施設もない村の、人口をはるかに超える人数の難民を押し付けられる自治体では悲鳴と怒りが沸騰している。10月8日、バイエルンとヘッセンで州議会議員選挙がある。本音を言えないドイツ市民も、漸く本音の結果を出すのだろうか。

苦痛と重圧に耐えかねて石と化したアトラス。似非人道主義の御旗の下に苦役と忍耐を強いられ続けた心が、ある日突然石と化す。その反動を何故人々は恐れないのだろう…。