KIRACO(きらこ)

歎異抄を学ぼう!

朝刊に挟まっていたチラシの中にこんなタイトルの講座案内が入っていました。
会場はプラッツ習志野の会議室。
《お席に限りがありますので参加ご希望の方はお申込み下さい》との事。入場は無料です。
若しかしたらもう満席かも?ちょっと心配で慌てて電話で申し込みました。
私が歎異抄に初めて出逢ったのは、台湾での女学校二年の終り頃、今でいう中二です。
その前年八月、日本は戦いに敗れ、それまで日本の統治下にあった台湾は即刻中国に返還されることとなり、私たちは殆ど着の身着のままで生まれ育った土地に別れを告げなくてはなりませんでした。
帰国して内地の学校に転校するには在学証明書が必要なので、閉鎖されていた学校の事務室に出向くと、受け持ちの先生が待っていて下さいました。中年過ぎの男の先生でしたが、結構厳しくて、普段から余りジョークも口にされる事がなく、少しばかり苦手な先生なのでした。
でもいざサヨナラとなると(この先生とお会いする事はもうないかも知れない。これから海を渡って、それぞれの故郷へ散ってゆくのだから)ふっとそんな思いが胸を過ぎったものです。
帰り際、母に言われた通りに、
「先生、お世話になりました。どうか先生もお元気で」そう言うと先生はちょっと吃驚なさったような表情をなさって、後ろの本棚から薄手の小冊子を取り出され、
「この本は、親鸞の教えを弟子が書き残した日本の古典です。
今は難しくて解らないでしょうが、いつか大人になって何か辛いことに出会った時、きっと助けて貰える。そういう本です」と、紅色の表紙の和綴じのそれを手渡して下さったのでした。
書道の先生なのでそれは恐らく教材に使われる筈だったのかも知れません。
ところがそれからは引き揚げで忙しく、又サッと目を通しただけでは分からない、まるでお経のような内容でしたから、一応荷物の中へ入れたもののその後も、つい先送り。その内どこかへしまい込んだままになってしまいました。
でも、その本のことは大人になってからもずっと心に引っかかっていました。
最近になって歎異抄に関する本が次々と出版され、新聞の広告欄にも「無人島に一冊だけもっていくとしたら?」みたいな、ナゾめいたタイトルで登場したりしていましたから、今回の受講は私にとって《八十年前の宿題》に取り組むような、少しばかり気合の入ったものだったのです。
 
さて当日…私は学ぶという事の楽しさを久々に噛みしめていました。
黒板に書かれた文字、そして講師の先生の穏やかな口調にも、一つ一つ肯いていたものです。
中でも幸福について…
幸福には二つ種類がある事。
★絶対の幸福
★相対の幸福
などなど…

帰宅するなり、早速アマゾンに《歎異抄をひらく》を注文していました。
今まで何故私は歎異抄について素通りして来たんだろう?もっと早く読んでいれば…今更ながら悔やまれてなりませんでした。
人間、幾つにっても学ぶことの楽しさは衰えないものなのですね。
昔、まだ還暦にもなっていない頃、仲のいい兄嫁が、
「私の母ってね、今でも毎朝ラジオの英会話を聞くのが楽しみなのよ。もう八十近いっていうのに」そう教えてくれたことがありました。
その時私は信じられないくらいだったのです。《人間ってどうせ死んでしまうんでしょ、歳取っちゃえば…それでも勉強したいものなのかなあ。
お母さまは、奈良の女高師出の才媛でいらっしゃるから特別なのかもしれない》そんな風にも考えたものです。
 
とんでもない!私今九十二歳。
まだまだ知りたい事は山のようにあるし、次回の歎異抄の講座も是非受けたいと思っているところです。
人間の知的好奇心の無限さ、そしてその強さには驚くばかり。それもその立場に立ってみて初めて解ることだったとは!
講習当日、唯一寂しかったのは、猛暑がピークだったせいもあって、受講者は僅か数人だったこと。私のような《末期高齢者》には一人もお目にかかれなかったことなのでした。
でもあれから何となく心に安らぎを覚え、幸せいっぱいのナカダなのです。