KIRACO(きらこ)

Vol166「気」気が置けない……

2024年3月28日

漢字を楽しむ

気を今ではこのように書くが、昔は最後のところをメではなく米と書いた。つまり氣であった。气は雲の流れる形で、雲気をいう。气は生命の源、大本とされ、米すなわち穀類はその気を養う本であるというので、氣となった。

氣が気に変わったのは、戦後になって常用漢字表で略体を採用したからであって、コメのコを省略してメにしたのではない。画数を少なくすれば簡単になるし、それでいいのだろうといったご都合主義がもたらした結果だろうが、気になる。お隣の中国では簡体字といって、画数が多く煩雑なものは避けているが、米抜きメ抜きの气のままを使っている。このほうがすっきりしている。汽車は昔どおりだし、气でもよかったのではないかと思うのだが。

戦後間もなく『気遣い部落周游紀行』という本が出版された。その後、松竹で『気遣い部落』(伊藤雄之助・淡島千景・水野久美など出演)という映画にもなった。フランス社会学の方法で「部落」の生活を通して日本人の本質を探ったルポルタージュ、といわれる。書いたのはきだみのる、本名山田吉彦。ファーブル著『昆虫記』の名訳で知られる。彼は戦中から戦後にかけて、東京の西はずれ恩方村に住んでいた。私は家も近かったから、作中のモデルも映画のロケも知っている。彼が昭和五十年に亡くなったとき、一部のメディアは、その名前のゆえに代表作名を報じることができなかったという。

いつの時代でも、気になる言葉というものがあるようで、「気が置けない」もその一つ。遠慮したりする必要がなく打ち解けられるの意味で、「気が置けない仲間と温泉に浸かる」は正しい使い方。気が許せない・油断できないの意味に使うのは間違い。つまり「気が置ける」は、何となく気詰まりだ、の意味である。