KIRACO(きらこ)

Vol167 されどてにをは

2024年5月2日

独断独語独り言

ひらがな一文字で、風景が一変する。

日本語は面白い。改めて初心者の目になってみると、溜息が出るほど面白い。

初級クラスは怖いもの知らず。ハイクを教材にしたらどうだろう、と中仙道の旅を夢見る独/チェコ人の青年から希望がでた。中には分かった人もいて「いや、あれは芸術だから短いほどに難しい」という意見も。あぁだこぅだと参加者同士が話す間に、慌ただしく色々思い浮かべてみる。咄嗟に思い出せる名句にはほとんど詠嘆の助詞が使われている。切れ字の「や」をどう説明したものか。現代語で韻文以外に詠嘆の「や」なんて使ってる? エイタンなんて英単だよ、とつい思いが飛んでしまったところで我に返り、じゃ、ちょっと考えてみるね、と翌週に預けた。時は三月、蕪村の句でいってみよう。

復活祭 春

菜の花や 月は東に 日は西にちなみにこれは1774年4月20日から25日の間の、満月かそれに近い頃の句だそうだ。調べる人はいるものだ。これには探索犬を自認する私も尾を巻き舌を巻く。閑話休題。

こうしてみると漢字以外は全部助詞。案外いいかもしれない。それぞれの景色を思い浮かべて貰えば暗記もまた楽しいだろう。文法から背景など諸々説明してから唱和する。覚えたところで一人ずつ諳んじてもらった。

菜の花や 
月は…東から、です 
日は西へ

驚天動地の新発見。どっぷり浸りきりたいところを思い止まり、もう一度説明を繰り返すのだが、彼の句が新たな映像を描いて、その虜になってしまった。凄いよね!

月は東に 日は西に

助詞が「に」であれば、世界は静止する。時は止まり、菜の花畑は山村暮鳥の歌うまま「純銀もざいく」の壁画になる。白銀の満月は東に、力を喪った日はまさに地平線に沈まんとするところ。この哀愁漂う春の宵に自分は佇む。永遠の一瞬をとらえた静止画像。

ところが、

月は東から 日は西へ

字余りには目を瞑って。格助詞が「から」と「へ」に変わった途端、凍結した時が解凍される。目の前に広がるはスター・トレイル、星景撮影の動の世界。自分は自転する地球の表面に立つ砂粒ほどの存在。天空はそんな極小の存在に容赦なく、音もなく時の傷跡のみ残し永遠に悠然と動き続ける。つい、身振り手振り交え熱を込めて語ってしまった。

宮澤正明 雅号・雀人 「星の風景」

助詞、たった一文字のひらがなで世界が変わります。それぞれの思い出の映像と一緒に覚えよう、と春休みの宿題に。
希臘/クロアチア人の彼が、ぼくも独語だけど俳句を作ります、と披露してくれた。

富士は静かにそこにある
風は吹き荒れ 波高くとも  
拙訳だけれど、こんな風景だった。

勝手に五七五に精練したら大きなお世話だろうか。

たったひと文字、されど一文字。

書の一分野「漢字仮名交じりの書」の不可侵の鉄則に字種変換不可というものがある。

俳号そのままに、血反吐を吐きながらも作句した子規のように、命そのままの語を勝手に弄いじることは許されない。

入日 車窓から