
春の香りが、漂い始めた一週間前の夕方、私は六本木の俳優座劇場へ伺った。夜の六本木なんて、何年振りだろうと考えながら、私は信号の変わるのを待つ間、またたくネオンを眺めた。六本木は私にとっては、本当になつかしい場所だった。
青春時代を過ごした場所と言ってもいいかもしれない。学生時代は、昼も夜も時間があれば、六本木に来た様な気がする。もちろんお金なんてそんなに持っているわけではないけれど、時間があれば、どこかのお店に仲間とたむろしていた。アマンド、福寿司、瀬里奈などなど。
ステーキは同級生や男子上級生が奢ってくれた。ディスコもよく行った。ピザもよく行ったっけ。中華もね。多分、学校にいる時間よりも遊んでいる時間の方がずっと多かったにちがいない。
私の通っていた学校は、古い学校だが、あまりうるさい事は言わず割と自由が許されていた。服装も自由なので女子学生はおしゃれな人が多かった。シャネルを着ている人がかなりいました。私はその当時はまだ両親は市原に住んでおり、子供だけど東京の家に書生さんと市原からのお手伝いの小母さんと若い女の子それに夫を亡くした、番頭さんの奥さんが一緒に暮らしていました。この奥さんには子供がいないので、東京で暮らす方が、淋しくないと両親が考えたのかもしれませんが・・・。誰も叱る人がいないので私は、毎日のように出歩くことが出来たのでしょう。六本木族なんて言葉も生まれ、六本木に集まっている人は多くいらっしゃいました。
俳優座劇場はかなり古くなっていた。それにも私は時の流れの早さを感じていた。
この日ここに来たのは、仲良しの柳内光子さんからお芝居を上演されるとのご連絡があったので、友人と二人で来たのでした。光っちゃんは、大きな会社の女社長さんですが、映画を何本か作っています。私より二、三歳年上の女実業家です。それは元気で、病気をしたことなんて聞いたことがありません。お互い忙しいので、めったに会えませんが、電話ではよくお話ししております。
一方、私は、いろんなイベントをやったり、会員制クラブを経営したりと色々とやっている。芝居も何十回とやっている。そう、そう、大分前ですが、光っちゃんにも、二度舞台に出て頂いている。病院長の役で、白衣を着て頂いた。
忙しくてお稽古日も取れないのに、立派に演じてくださり、ありがたかった。
コロナの間しばらくやれなかったが、去年から舞台を三回くらいやっている。今も、準備中だが、これまでのことを、思いだしても、苦労の連続だ。
チケットがすぐ完売なんて、かなり珍しい。
光っちゃんからの誘いの電話は、私を少しビックリさせたが、興味もあり私は久し振りに六本木に来たのだった。それともう一つ、お芝居の内容にも興味があった。「あねさきの風」という題目。
姉ヶ崎は市原市の奥にある。そこにある高校が荒れて、暴力教室化しているのを、赴任してきた一人の男性教師(白鳥先生)があらゆる努力をして、立派に立て直すというのが、ストーリー。
姉ヶ崎は私の故郷の近く。白鳥先生という方にも、なんとなく記憶があった。
私は小学校四年生の三学期までしか市原にいなかったので、何だか懐かしい気がした。お芝居は、若い役者さんの熱演で幕が開く。一人だけ私の知っている役者さんが出演していた。客席には、知り合いの方々のお顔がたくさんあった。
この系列のお芝居は、現在には珍しい感動的ドラマなのだが、地味は地味だ。いろいろ細かい苦労はあるだろうけど、光っちゃんなら大丈夫。「頑張ってください」と心からエールを送りたい。
この日はなつかしい場所二か所に触れた一日だった。久しぶりに市原の山奥の実家にも行ってみたいなと考えたが、近いうちに夜の六本木に友人達を誘って、なつかしいお店で中華料理でもゆっくり食べたいなと考えながら、私は夜の六本木を後にした。車の窓を開けたら、春の香りが香っていた。
「もうすぐ、桜の花が満開だわね。お花見でも行こうか?何人か誘って?」 私は、今夜観劇に誘ってくれた光っちゃんに言った。「そうだよね、何処にしようか?上野?」と彼女は返してくる。「ウーン、上野の櫻なんて十年以上も見てないけど、千葉県内にもたくさん櫻の名所があるから、例えば東金なんか?」と私は言った。「そうだね、東金の櫻、座敷に座ったまま眺められるもんね」光っちゃんのこたえがはずんでた。
「うん、そうだ、明日にでも何人か電話で誘ってみるね」私はそうこたえながら急に、四年生まで通っていた郷里の小学校の校庭の一本の櫻の木を思い出した。入学の日、校門をくぐるとまず目に入ってきた満開の櫻の花の美しさに子供ながら、感激し、その時から私は、櫻の花が大好きになったのです。
学校までは、歩いて四キロ。雨の日は辛かったですが、同級生とは、本当に仲良く、原っぱで花を摘んだり、アケビやグミを取ったりした楽しい思い出ばかり。
いつしか年月が流れて、もう私たちも後期高齢者。これから先も、元気でいたいなあとしみじみ思った。
「そうだ、市原の同級生を六本木に連れてきてあげよう」と考える。市原の山奥で生まれて、そのままずっと暮らしている友人もたくさんいるもの。それにしても、「あねさきの風」いろんな方に観て頂きたいと願った。
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