渡りの季節の到来。
勢いを失くした朝日は、葉を散らした木々の間を縫い、東の空を苦しげに低く這い進む。騒がしかった椋鳥の姿がいつの間にか消え、日は目に見えて短い。張り詰めた硬質の夕空に猫の爪のような三日月が鋭く冴えていたのはつい先日のこと。中秋の満月も欠け始め、外回りに出るフロッキーもすぃと夜陰に溶け込んでゆく。
この季節、井伏鱒二の「屋根の上のサワン」を悔恨とともに思い出す。大空を渡ってゆく仲間の呼び声に、屋上で悲痛に泣き叫ぶ傷を負った雁の姿を。
フロッキーの先代、マイキーは薄幸の美猫だった。こんなに美しい猫は見たことがないと隣人が感嘆したほど、見るものの心を見透かすような眼は秋の空の青だった。2016年7月22日ミュンヘンを震撼とさせたイラン系移民による無差別殺傷事件。銃の乱射で九人が死亡したその日、マイキーは僅か3歳4ヶ月で骨肉腫の手術から生還することはなかった。短い生涯に彼は三度棲家を変えた。引く手数多の美しいものですら人間の都合次第。
マイキーがやってきた当時、猫飼いとして素人の私たちは言われるままに世話をした。
・ ラグドールは帰巣本能が極端に弱い。
・危険に対して無防備。
・ 高級種なので誘拐の恐れあり。
・ 怠け者で抱っこが大好き…よって絶対に室内飼いに限る。
今にして思えば全てとんでもない出鱈目だ。哺乳類の個体差は大きいといえ「したり顔」の情報の実際に出会ったことはない。生まれてから外界を知らずに、どうやって危険を感じることができるのか。縄張りを持たずマーキングせず、何を頼りに帰宅しろと。マイキーは寄り添っても抱かれはしなかった。フロッキーなど3秒もじっとしていない。絹の手触りの毛並みでウナギのように身をくねらせ、するりと逃げてゆく。ともに誇り高き猫族「雄の沽券に関わる」とでも言うように。
マイキーは外に出たかったのだ。生まれてからずっと室内で育ったに関わらず「外」を知っていた。その目はいつも遠くを見ていた。左脚を下に伸ばした独特の姿でベランダの手すりに座り、風に毛並みを撫でさせていた。いつか2階から飛び降りることを覚えてしまった。おそらくその頃伸ばした脚は既に病魔に冒されていただろうに。クリスマスの近づいたある日、知らぬ間に外に出た彼は必死に中に入ろうとしたのか、扉の2mほどの高さに足跡がくっきり残り、輪飾の赤いガラス玉が一つ割れていた。飼育に素人でも、生命の感情は伝わる。彼を繋ぎ止めるのは罪深いことだと感じた。それ以来見守りながら庭で自由にさせた。立髪を靡かせライオンのように走る姿は嬉々として見えた。
怪我をしたサワンへの哀憐はいつしか「私」の自己憐憫とエゴに変様する。抱き抱えた生命の重みと体温は「私」の鬱々とした心を慰めた。サワンは「私」を去ってはいけない。マイキーを閉じ込めたのは、本当に彼のためだったのか。
マイキーが亡くなった日、学生だった息子は知らせを聞いて急ぎ戻った。勤めていた娘はショックのあまり帰宅に迎えを待った。二人ともマイキーの死のため、殺人犯の逃走で全ての交通が遮断される前、危険に晒されずに無事帰宅した。霊力を秘めたような瞳のマイキーが、あたかも全てを予見していたような出来事だった。
すでに臥待ちの月。冷たく澄んだ明けの空に、猫の目のような愁いの月がきらりと光る。野鴨の夫婦が鳴き交わしながら低空飛行で隣家の屋根を掠め飛び去ってゆく。