うらみには怨と恨の二字があり、恨のほうは常用漢字に登録され、中学校で習うことになっている。痛恨のきわみ・悔恨の念でいっぱいなどと使う。いつまでも根に持ち、傷あとを残すこと。
これに対し、怨は怨恨・怨嗟の声、はエンと読み、怨念を抱く・怨霊、はオンと読む。怨の上の部分が身を曲げるの意で、心が曲がり、うらむ・うらみ・うらめしい・いじめられて発散できない残念な気持ちがある。一般にはさほど区別することもなく、常用漢字の恨を広く用いている。
怨は菅原道真と結びついて使われてきた。右大臣の地位から讒言によって太宰府に流され、その地で生涯を閉じた。道真は亡くなってから、その怨念が自分を陥れた人々に向けられ祟るようになる。のちに、天暦元年(九四七)北野神社に祀られる。
うらみを飲んで死んだ人はその後もあとを絶たなかった。その人たちには申し訳ないが、時代をググッと引き下げる。
水俣患者発症から十七年、一九七〇年、チッソ株式会社の株主総会に出席するため、大阪入りをした一団の先頭には、闇を思わせる黒一色の地の一番上に、白く「怨」の一文字が染め抜かれた幟を掲げていた。
マスコミ各紙はこれを「怨念」という、それまで封印されてきたような言葉で一斉に報じた。
常用漢字の見えない枠のために使えなかった文字が、その枠を乗り越えたのは、拉致の拉(引っ張るの意)と同じであった。
水俣病の認定第一号の発症は一九五三年、工場廃水が原因と特定されたのが一九六三年、日本政府が公害と正式に認めたのが一九六八年であった。この病気に罹ると脳や神経が冒され、歩行が困難になり、言葉も不自由になり、更には全身が痙攣する。原因の有機水銀は、魚介類を通じて食事として体内に取り込まれたのだった。