冷たい水や牛乳は噛むようにして飲むといいという。体温に近いようにするわけだ。物を口から胃の中へ納めようとするには、のどをまず通る。熱いものが通るとき、のどの神経は驚いて一時食道の入り口を閉める。が徐々に通過させる。のど元過ぎれば熱さを忘れるのことわざ通り、食道に入ったものは熱さを感じない。しかし食道の壁を傷つけながら進んでゆくので、ゆっくりとよく噛んでから飲み下す習慣をつけておかないと、満腹感が満たされないから、大食・エネルギー過多・肥満そして生活習慣病へとまっしぐらに進む。
ゆっくり食べるにはよい友達と箸置きがいる、と友人が言った。フランスの警句と純日本風小物のミスマッチだねと言ったら、彼は真顔で説明を始めた。西洋料理は次の料理が出てくるまで時間がかかる。その間を持たせるために仲のよい友達と気の利いた会話を楽しみながらにぎやかに過ごす。和食を食べるときはあまり話をしない。どちらかといえば大人しく食べる。他人の話を聞く場合は、箸を置いて居住まいを正して聞く。だから箸置きが必要になる、と。確かにそうかもしれない。
子どものころ学校で「噛めよ、噛め噛め……」と呪文みたいに唱えさせられたし、「黙って食べろ」と仕込まれた。弁当を広げて、みんなで見せ合うほど栄養も色彩も豊か、というのとはおよそ正反対の、弁当持ちの時代だった。
一回の食事で噛む回数の理想は四千回。ところが私たちは約六百五十回しか噛んでいない。現代人が一回の食事で噛む回数は、三十年前の日本人の三分の一、卑弥呼の時代と比べると六分の一になっている、と日本咀嚼学会理事長の斉藤さんの談話にある。噛むという字を漢和辞典で探す。口の部の十二画にあったとしても十五画を見よ、と盥回しされる。そこには口偏に齒が待っている。つまり常用漢字などで齒の字の略体である歯が正式に認められたため、それが準用されてしまったわけ。檜と桧、鷗と鴎、なども同じ仲間である。
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