KIRACO(きらこ)

「話」人を楽しませる話を

2025年3月27日

漢字を楽しむ

 人はいろいろなことを話している。普段日本語で話している。とことん話し合えば、話せば分かってもらえるはず、と簡単に言う。ところがドッコイ、そうそう簡単にゆくものでもない。誰もが話し上手とは限らないし、相手によっては話が通じないことだってある。互いに自分の都合だけを一方的に喋りまくって、平行線をたどってしまう場合が結構ある。会社側と組合による利害対立、夫婦の別れ話など、よく耳にする例である。

 似た言葉に「語る」がある。どちらも相手に伝えるという共通の目的がある。しかし、しみじみと語り合うことができても、しみじみ話し合うというとどうも落ち着かない。『源氏物語』は読みあるいは語って聞かせた。『平家物語』は琵琶に合わせて語った「もの語り」であって、「もの話」とは呼べなかった。語るには独特な節回しや曲を伴う型があり、昔からの伝統的な価値観を持つものだった。

 それに対し、「話す」は、もと心事を放つことであったと言われ、やがて目新しいことや人を楽しませる話を、放すことになった。現代風に言うなら情報価値のあるものを伝達することであった。最初のおとぎ話は室町期に始まったとされる御伽衆(主君の側近く伺候し、諸国咄をしたり雑談の相手を務めたりした職)が伝えるニュースであり、笑い話だった。やがて人々がそういう楽しい話し(咄とか、噺とか書く)に心を惹かれていったことを示していると見られる。(『動詞人間学』などによる)

 現代ではマスコミ、特にテレビ・ラジオによって話されている。言い放され続けている。大きな声で一定時間内に少しでもたくさん言ったほうが勝ちと思われてきた。それが現代の早口を生んだらしい。

 もっと楽しく、静かに、心を通じ合わせられるよう、話すことができたらいいと思う。

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