令和8年1月11日は、新春恒例の講談教室生徒発表会&鶴遊講談会を開催する。会場の静岡駅前あざれあ大ホールで会を開くのは十数年ぶり。2歳でデビューした私の、芸能活動四十五周年記念公演でもある。特別ゲストに、久能山東照宮の落合偉洲(ひでくに)名誉宮司をお迎えし、「家康公の時計~四百年を越えた奇跡」と題して対談を。その前に、私の創作講談「家康公の時計物語」を口演する。東照宮博物館は徳川歴代将軍に関する品々を展示・保存する施設。家康公の遺品のうち最も有名なのが、スペイン国王が家康に贈った洋時計で、外箱も含め、ほぼ全ての部品が製作された当時のまま残っているという世界に二つと無い逸品。来歴もドラマチックで、外房沖で難破したスペイン船の乗員が、現在の御宿町の海岸に漂着。村の人々は、寒さで震える乗組員たちを人肌で温めるなど救助をした。報せを聞いた家康は一行を呼び寄せ、道中手厚くもてなすよう命じ、大多喜城から江戸を経て駿府城で大御所家康と謁見。さらに家康は、三浦按針に我が国初の洋式帆船を建造させ、この船で一行を丁重に送り返した。その恩義に対する返礼品が件の洋時計で、東照神君家康公の眠る久能山の宝物殿に収められ今日に至っている。戦後、盗難に遭った時計は、「返して」という小学生の新聞への投稿を読んだ犯人が返却、無事久能山に戻ってきた一件など、面白い逸話がある。四年前、国立演芸場で初演の際、石田御宿町長を落合宮司がご紹介下さり、乗組員が漂着した海岸や関連施設等、町長にご案内頂いたり、多くの資料を集めて一席の講談に仕上げたが、いつかは地元静岡のお客様に聞いてもらいたいという思いがあった。千葉ゆかりの講談でもあり、今年はどこかで披露してみたいとも思っている。
久能山東照宮は母校・静岡南中の学区内にあり、学校行事で一一五九段の石段を清掃。家康生誕450年祭では、社務所で徳川家康の一席を演じたりと、子供の頃からご縁がある。落合名誉宮司は二ッ目時代の後援会の顧問を務めて下さったり、真打昇進の際には、口上書きの表紙に筆をとって頂いた。全国の国宝重要文化財所有者の連盟のトップで、スペイン国王来静の際、国王夫妻と平成の天皇・皇后両陛下に時計をご覧に入れたのも落合さんで、家康の時計を何とか国宝に指定できないかと熱心な活動をされていて、今回の出演も快諾下さった。
1月11日という日付は、かつて亡き師匠が、一鶴の一にちなんで毎年自分の会を開いていた日でもある。私は、今から三十八年前の昭和63年1月11日に上野・本牧亭で開かれた田辺一鶴一門会で田辺チビ鶴として初高座を踏んだ。年の瀬12月22日の師匠の命日を前に新宿永谷ホールで開かれたのが田辺一鶴十七回忌記念の会。私は、亡き師匠に最後に教わった、大師匠・南鶴作の「生か死か」の一席を。このホールは上がマンションになっていて、94年頃、師匠はここの201号室を事務所として借りていて、訪ねるとワープロなど最新機器がいっぱいだった事を思い出す。現在、講談協会は一階のホールで毎月定席を開いているが、楽屋として使っているのがこの201号室というのも妙な偶然だ。師匠は平井の自宅に帰るのが面倒だったのか、昨年3月に93歳で亡くなったおかみさん、和子さんと顔を合わせるのが苦手だったのか、ほとんどこの事務所に寝泊まりをしていた時期がある。この部屋でマンション寄席開催を思いつき、マスコミに取り上げられると後日、新宿消防署からお叱りを受けたとか、裏の歌舞伎町交番前を歩いていると不審者に間違われ職務質問。背負っていたリュックの中身を調べると警視庁と書かれた金メダルが出てきて「何だこれは盗んだのか」「いえ、先日警視庁で講演やって貰ったんです」「失礼しました!」と最敬礼をされたとかいう出来事もあった。家康は自ら薬を調合するなど健康に留意。75歳は当時としては長寿だったが、師匠は、125歳まで生きると公言をしていた。
スポニチ静岡支局の小久保克治さんは長年私と講談教室の記事を書いて下さっている記者で、今回も45周年記念という事で取り上げて下さった。取材を受けているうちに「102歳まで生きたら芸能百周年が出来るね」という話に。なるほど、考えてみると百周年の可能性がある芸能家は、自分以外にはあまり居ないのかもしれないと思うと、新しい長期の目標が出来たように思えた。同席していた中学の同級生、宮澤圭輔静岡市議にはホールとの交渉等、今度の会で様々お世話になっている。彼が、昨年発表した「田中角栄伝」を聞き「良かった」と言ってくれた。また、11月の東京ニューヨーク寄席でもやってみたが、角栄先生の遠縁という女性が駆け寄ってきて、涙を流して喜んでくれたのは嬉しかった。今年の目標としては、各地で好評の「田中角栄伝」をさらに進化させてみたい。また、昭和53年午年生まれの年男五人で結成している「浅草午年五人男」の特別公演を4月4日深川江戸資料館大ホールで開くが、こちらも大入り満員を目指している。
田辺鶴遊(たなべかくゆう)
名古屋生まれ静岡育ちの講談師。芸能社経営の父親のもと2歳で芸能活動開始。8歳でヒゲの講談師・田辺一鶴に師事。9歳、上野本牧亭で初高座。東海大大学院政治学研究科中退後、講談協会にて前座修業。平成21年、師匠没後は一鶴の弟弟子の宝井琴梅門下。平成27年真打昇進し田辺鶴遊を襲名。昨年は、NHK講談大会、ラジオ深夜便への出演が話題に。日本テレビ「news every.」特集のナレーションは十年以上担当。後藤新平、尾崎行雄、江原素六、中勘助など幕末~昭和期の創作人物伝がライフワーク。