筆者が五代目選者をつとめている朝日新聞千葉版の読者投稿欄「千葉笑い」が昨年、四十年の節目を迎えた。2月時点で連載回数1778回目を誇っている。初代選者は市川在住の演芸評論家で、亡き師匠一鶴もお世話になった故小島貞二先生。かつて千葉寺には、大晦日の夜に覆面をつけ、身近な鬱憤や時の殿様への不満など、悪態をつきながら笑い飛ばす千葉笑いという奇習があったが、いつしかすたれてしまった。小島先生は、古句・古川柳にも残り、江戸時代には房総はもとより江戸まで知られていた千葉笑いをゆくゆくは復興させたいものと、まずは新聞紙上で盛り上げようと笑文芸を募集。昭和60年1月に連載がスタートした。笑文芸とは、川柳、狂歌、どどいつといった短詩系文芸の他、各新聞、雑誌でも目にするようなコントに、アナグラム、数字遊び、回文といった言葉遊び系などのユーモア文芸の総称で、新聞の投稿欄は、短歌のみ、川柳のみといった分野を限定するものがほとんどだが、「千葉笑い」はどんな笑文芸でも投稿が可能という特色がある。
以前は毎週掲載されていたが、コロナによる中断期間を経て現在は月一度、木曜の掲載。毎月数百本の投稿が届くが、紙面に限りがあり選べるのは十本程度。一本でも多くの作品を載せて差し上げたい思いから、選評は一行になることも多い。選を行う際に気を配るのは、まず、時事問題を取り上げた作品が多いが、話題や見方に偏りがないようバランスを考える。また、人の生死を扱ったものは慎重に判断。選者自身の好みより、笑文芸として面白いかどうかを重視。笑文芸のルールから外れた病句も、選者で少し添削をして掲載することも。新人さんはなるべくなら選びたいが、毎月選ばれるベテラン投稿者も健在。本家の千葉笑い同様、為政者に対する不満や政治家の不祥事を笑いで包んだ秀作が多い。
掲載作品は朝日新聞デジタルにも載るから、朝日を取っていなくてもネットでご覧いただける。他の記事は有料だが、千葉笑いだけは無料で閲覧可能。作品は読者がこしらえた物なのだから、全国無料で千葉笑いを読めるようにしてもらいたいという私の希望を朝日が叶えてくれた。これで、全国どころか全世界から閲覧も投稿も可能に。きらこ読者の皆様にも、まずは気軽に読んで頂き、笑ってもらえればおなぐさみ。願わくば頭の体操として、作品を奮って応募頂ければありがたい。投稿数の増加は、連載継続の大きな力となる。ちなみに、本誌でおなじみサカサ歌の中田芳子先生は回文のご常連だった。平成11年に二代目千笑士を獲得。千笑士は過去に何度も三賞を受賞したり、長年投稿をして下さるなど、質量ともに充実の投稿者に与えられる特別な“笑号〟で、四十年で四人しか出ていない。
お題の四文字を、七・七・七・五の頭に折り込んで読む「折り込みどどいつ」は千葉笑いの定番。季節やその時の話題、流行語などから題を考えて毎月変えることにしている。平成13年から始まったお正月恒例の「新春どどいつ特集」は二十五回目で、今年は1月22日に掲載された。折り込みの題は「うまどし」で、自由吟も募集。ハガキ、FAX、メールなど年明けに大量の力作が寄せられたが、その中からようやく二十二本の作品を選び出した選者の心境を「うまどし」の四字を折り込んで、「うふふと笑顔で幕開き飾るどどいつ選びは四苦八苦」と詠み、選評を綴った。
こういう仕事をしているとサインを頼まれる事もままあるが、時間があれば折り込みどどいつを添えている。昨年11月に伺った岩手県北上市の北上本牧亭では、「きたかみ」の四文字で「今日も行こうよ楽しい寄席へ掛け声拍手に皆笑顔」。九月に百回目の東京ニューヨーク寄席を開催した新小岩の一心湯には、「い・つ・しん・ゆ」を折り込み「田舎のおふくろ連れても来たいしんから温もる湯の心地」という色紙が飾られている。
小島貞二門下で笑点の構成作家だった放送演芸作家の遠藤佳三先生は、花王名人劇場の作家として有名な神津友好先生とともに、小島先生亡き後の選者を引き受け十五年務められたが、病気療養で退任されるのを機に、平成30年10月11日の第1635回から私が選者を担当することに。小島先生が始めた笑文芸サークル「有遊会」に参加して言葉のセンスを磨いた亡き師匠の一鶴。同会は今も浅草公会堂で例会を開いており、私も参加。選者の三先生とは子供の頃から面識があった。小島先生にはチビ鶴の名前を何度も記事に取り上げて頂いた。神津先生と遠藤先生には駿之介時代に講談会にゲスト出演頂いたり、真打披露もご出席。お二人揃っての手締めの挨拶を頂戴した。病床の遠藤先生に「あなたならば」と託された「千葉笑い」を次の世代に引き継ぐことが目標。ご支援を願います。
田辺鶴遊(たなべかくゆう)
名古屋生まれ静岡育ち。芸能社経営の父のもと2歳から芸能界に。今年1月静岡で、久能山東照宮名誉宮司・落合偉洲氏を対談ゲストに招き、芸能活動45周年講談会を開催し盛会に。8歳でヒゲの講談師・田辺一鶴に師事、「田辺チビ鶴」として話題に。東海大卒業後に講談協会で前座修業。「田辺駿之介」と命名される。師匠没後に宝井琴梅門下。平成27年真打昇進し「田辺鶴遊」を襲名。講談は後藤
新平、尾崎行雄、田中角栄など明治~昭和の創作人物伝が中心。現在「アラビア太郎伝」を制作中。