「鶴」食肉用の鳥だった
大昔、大空には鶴の優美な姿が数多く見られたはずである。今から三、四千年前には、関東地方から東海・中部地方の貝塚の人たちは食料として鶴を食べていた。横浜市や埼玉県富士見市からは鶴の遺骸を掘り出した。神奈川県平塚市などの貝塚ではオオハクチョウの遺骸とともにツルの骨片が出土している。北海道の貝塚からは魚骨・海獣骨に混じって鳥骨も多く、ツルの長い骨が破損されずに発掘された。管状の長い骨は一方を斜めにそいで尖らせ、ヤスとして武器や狩猟具にしていたと考えられている。
古代ローマ時代の詩にも宴会に鶴の肉は登場したそうだし、江戸幕府の鶴のお成りは年中行事の一つで、将軍が三河島や品川の鶴の餌付け場で鷹狩をした。捕った鶴は朝廷や御三家を始めとする大名に下賜した。
ツル類の気管は非常に長く、ラッパの働きをしているために鳴き声は大きく、遠くまで響く。古代ギリシャ人は越冬のためにアフリカにわたる鶴の鳴き声を、畑を耕す時期として農事暦に組み込んでいたということである。日本では歌の言葉として、鶴が音といい、『万葉集』にも詠まれている。
鶴が瑞鳥とされるのは平安時代以降で、『土佐日記』には「松の末ごとに住む鶴」と詠んだ歌がある。長寿に見本とされる鶴を、冬になっても緑の色を変えない節操高い長寿の松の枝に止まらせて、めでたいものの代表と組み合わせている。花札にも松と丹頂鶴が描かれ正月の象徴として定着した。
めでたいもの尽くしにわざわざ水をさすこともないのだが、本当のことを知っておくこともまた大切であろうから、あえて駄弁を。鳥の寿命というのはそう長くもないのが普通で、鶴の寿命は野外で二十年程度、動物園で六十年以上とのこと。また鶴の足の指には水搔きがあり、木の枝には止まらないそうである。