「神」早く来い来い福の神
太古の昔から、人は自然の恵みと恐ろしさとを身をもって体験しながら生きてきた。
雨は大地の乾きを潤し、草木の芽を伸ばし、やがて実り豊かなものへ誘ってくれる。慈雨、恵みそのものである。その反対に大洪水を引き起こし、ものを破壊し尽くし、生命を奪い去る恐ろしいものもある。このような自然界のさまざまな現象は、招きよせることも遠ざけることもできない。人間界を支配する自然界には超能力的な存在があるのではないか、人間を慈しむ神もいれば人間を罰し懲らしめる神もいる。怒れる神の前にはいけにえを供えなければならない、そこに儀式が生まれた。
神という字は、つくりの申が稲妻の象形であり、天にある神の威光の表れと考えられた。礻(示)は神にいけにえを捧げる台の象形、合わせて一般にかみの意味を表す。
神の語源は、きわめて数が多いことをいう八百万ではないがさまざまある。鑑(かんがみる)、鏡(かがみ)、明身(あかみ)、陰身(かくりみ)、上(かみ)説などなど。語源に定説がないのは日本の神が極めて広い意味を持っているからといわれる。ちなみに英語のゴッドはインド・ヨーロッパ語の祈られるもの・犠牲を捧げられるものの意であるそうだ。蛇足をもう一つ、モンテーニュの計算によるとギリシャ・ローマの多神教の神の数は六十三万という。
神の好きな日本人はメイド・イン・ジャパンの漢字まで作ってしまった。榊や鰰(秋田名物のハタハタ)である。
戦時中、そのうちに神風が吹くと吹き込まれた。ウソを教わった少国民が、いま日本の財政を見渡したら、国民一人一人が大きな貧乏神と二人三脚を組ませられ、しかも孫子の代までも続くという。ウソであって欲しい。福の神の出番はいつのことやら。