KIRACO(きらこ)

Vol158 スッポンみたいな女だってさ

2022年11月24日

吉成庸子さんのコラムを読めるのはKIRACOだけ

今年の夏は本当に暑かった。

元気いっぱいの私が脱水症で入院したくらいだもの。暑さの中でイベントが続いた。忙しい合間にちょっと食事を取ればいいのだけどその暇もなく、寝る前になって、「あら、私今日何も食べてないわ」なんて日が続いた。

そんな私を心配して、ゼリーを飲ませてくれた友達がいたから、なんとかやってこれたのかも。だけど、八月終わりに近い暑い日の午後どうにも歩けなくなり病院に行ったら入院させられてしまった。水分不足の上胃は空っぽだったそうだ。入院してすぐ点滴が始まった。すぐに、下の弟が先生に呼ばれたらしい。きちんと食事をするように、水分はたっぷり取るよう、そして睡眠も十分取るようにお姉さんに言ってくださいと強く医者から言われたみたい。

コロナの関係で病室では会えない。電話でやりとりしたのだが、弟夫婦が心配する気持ちが痛いほど伝わってきた。ありがたいと感じているものの、私の頭にあるのは、五日後の「酒蔵まつり」のことばかり・・。千葉県には良い日本酒を造る酒造さんがたくさんある。その蔵元さんに参加頂いて、一人でも多く方に千葉県の日本酒の素晴らしさを伝えたいという私達千葉おかみさん会の願いで企画したおかみさん会としては二回目の酒蔵まつりが目前に迫っていたのだ。だもの、私は入院なんてしていられないという気持ちで焦った。

「先生、お願いだから、早く退院させて」。私は何度も頼んだ。「退院?そうだな、きちんと食事と睡眠を取ることが出来ますか?それが出来るのなら希望の日に退院してもいいですよ」と先生がおっしゃった。私はない頭をしぼり、自宅ではなく、しばらくはホテルから、仕事等々に出かけると決めた。弟も大賛成。私は、病院からホテルグリーンタワー幕張に移った。グリーンタワーの経営者ご家族とは古くからのお知り合いだから、安心して居られる。

そして、私は「酒蔵まつり」に行く事ができた。会場となった京成ホテルミラマーレさんには多大なご協力をいただいた。本当にありがたい。ホテルの加藤社長は、四街道の住民、私とは、すぐご近所さんだ。そんなわけもあって何かと良くして頂いている。

酒蔵まつりには忘れられない思い出がある。私の亭主の吉成儀は、私のことはバカにして、文句ばっかり言っていたが、私が酒蔵祭りを企画した時は、何一つ文句めいた事は口にしなかった。私は出店のお願いに色んな酒蔵さんに出向いたが、どうしてもいい返事を頂けない酒蔵さんが何軒かあった。そんな酒蔵さんには、何度も何度もいい返事を頂くまで電話してお願いした。そんな様子をうしろで見ていた儀ちゃんが私に「お前はスッポンみたいな女だな。食いついたら離さない」と言った。褒め言葉かどうか分からないけど、批判ではないと感じた。

そして千葉そごう前の広場をお借りし開いた酒蔵まつりに儀ちゃんが現れた。そして言った。「お母さん、このような事をするのが大事なんだよ。頑張りなさい。」と励ましてのし袋までくれたっけ。私はビックリしたけどとても嬉しかった。又、千葉銀行会長から商工会議所の会頭になられた石井さんも「このようなイベントをやらなきゃだめだよ。これは素晴らしい」と褒めて下さった。石井さんも今は天国へ行かれてしまった。私はこの二人の言葉が忘れられず、酒蔵まつりのことは常に頭にあったが、コロナの関係で何回か流れて、やっと出来る事になったのに入院なんかしちゃいられないと私は本気で思ったのだ。

お陰様で少しフラフラしていたものの、ちゃんと主催者としての役目は果たせた。ぞくぞくとお客様がお見えになりイベントは大成功。千葉県のお酒の良さを十分に宣伝出来た気がする。大原保人先生が奏でるジャズピアノが静かに会場に流れる中、老若男女のお客様がいろんな酒蔵さんをめぐって、たくさんの種類のお酒を味わって下さった。品がよくて和やかで、そして賑やかな酒蔵まつりは好評を得た。そして、千葉県酒造組合さんと千葉おかみさん会の共催で年一回このイベントを開催することも決まった。

今はちゃんと自宅に帰っているが、弟がうるさいので、つとめて食事と睡眠はとるようにしている。そのせいだろう。太ってきてしまいちょっと困っている。運動すればいいのだろうが、子供の時から運動は大の苦手。この年になって苦手な事や嫌な事なんてするのはまっぴら。楽しいこといっぱいやって、少しでも地域や世の中のためになりたい。それが私の願いだ。

暑い夏から急に寒くなった最近、何を着たらいいかねぇ?なんて悩みながら、出歩いている。そうして少しでも時間があると好きな本にかじりついている私だ。