さじなんて古い言い方だよ、スプーンと言わなくちゃ。古い物言いの老人を若者が笑う。しかし、匙にもいろいろと曰く因縁故事来歴があるんである。エッヘン。そもそも──。
さじは、茶匙の字音による語。小皿状の頭部に柄をつけた形の、液体や粉末などをすくい取る道具である。
調理の基本で食品(調味料等)を量るとき、大さじ・小さじと使う。スプーンとは言わない。基本的に大さじ一は十五㏄。小さじ一は五㏄。
医者が薬を調合するときに使ったから、匙といえば、薬・薬の調合の意味にも使ったし、医者のことを指す場合もあった。
匙が回るは、薬の調合がうまく行く・その病気の治療に効く薬を調合することができるの意。匙を投げるは、調剤用の匙を投げ出す意から、医者がこれ以上治療の方法がないと診断する。医者が病人を見離す。転じて、物事の救う見込みがないと諦めて手を引く。救いようがなく断念するの意。匙加減は、薬を調合するときの分量の程度。料理の味付けの具合。人に対する配慮や程度の具合。こう書いたのでは分かりづらいが、「上司の匙加減一つでどうにでもなる」などの用例は身の回りに転がっている。
小説では中勘助著『銀の匙』が有名である。幼児期から青春の入り口にさしかかる頃までのことをつづった自伝的作品。「私」はふと見つけた銀の小匙の思い出から、幼い時分の病弱な感じやすい魂を持った子どもの世界に入っていき、養育者であった伯母さんのこと、幼なじみ、小学校入学の不安、兄の強いた教育、友だちの美しい姉に寄せたほのかな思慕の情などを語る。これは単なる追憶の記ではなく、一歩一歩人生に目覚めてゆく幼少期の心の微妙な動きを刻んでいる。師匠の夏目漱石が未曾有の秀作として絶賛したという話があるが、今もって愛読者が多い。