明けましておめでとうございます。亡き師匠・田辺一鶴の後を受けてから、当連載も80回の節目。師匠は、創刊からちょうど80号まで。あくまで数字の上の話だが、きらこへの掲載回数だけは、師匠に並ぶことが出来たなと、感慨もひとしおの年明け。
令和五年は、ほぼ毎月新しい読み物に挑戦した。11月29日には、「平柳四兄弟」を発表。八王子市元本郷町の税理士法人だいち(内田薫代表)にて、四兄弟の三男、故平柳育郎海軍大尉の生誕百年を記念した展覧会が開催され、その初日に出演の機会を頂いた。紙切りの二代目桃川忠さんとは、二ツ目の頃、演芸会でご一緒してからのお付き合い。一昨年、横浜にぎわい座で開かれた二代目襲名興行では、披露口上にも同席させて頂いた。そもそも、「桃川」というのは講談の亭号で、初代忠先生の母方の先祖が、二代目桃川如燕という講談界の大看板。一鶴は、前座時代に軍談・修羅場を桃川若燕先生に、「毛谷村六助」「元和三勇士」といった長編講談を桃川燕雄先生にお稽古頂いた事があり、師匠の十二代田辺南鶴(私から見れば大師匠)は、以前に桃川如水という芸名を名乗っていた事などから、「桃川」という亭号には深い思い入れがあった。言うなれば、桃川忠さんは親戚のおじさん。お酒が大好きで、会うたびにごちそうをして下さる。
昨年の七月、忠さんから「平柳四兄弟を講談にしてくれないか」というお話が。四兄弟の長男で、戦前に外交官として活躍した平柳誠は忠さん(本名・平柳健)の父。帰国の際、米潜水艦に攻撃された阿波丸に乗船していたため35才で亡くなった。叔父にあたる三人はいずれも軍人として戦地へ。次男・三郎はニューギニア島で、四男・芳郎は、特攻隊隊長として出撃、沖縄の海に散った。三男・育郎は、海軍兵学校開校以来の秀才で卒業時には恩賜の短剣を、陛下の名代・高松宮から拝領。駆逐艦・文月の砲術長の任にあった最前線のラバウルで、昭和19年1月に21才の若さで戦死した。四兄弟を生んだ母・すずおさんは、軍国の母と讃えられ、平柳家は羨望の眼差しを受けていた時期もあったが、終戦までのわずか一年半で我が子を全員亡くして、すずおさんは一人、戦後を生きた。忠さんは、この悲運の四兄弟の話を後世に伝えたいのだという。どんな古典講談もはじめは新作で、それが次代の講釈師に読み継がれ、いつしか古典と呼ばれるようになるもの。講談になれば、平柳四兄弟は、講釈師の口の端に上り後世に伝わる事にもなる。
忠さんははじめ、ある女性の台本作家という人に、四兄弟の講談化を依頼。その台本を私に演じてほしいとの頼みだったが、お断りをした。それは、「講談は自ら作るべし」というのが一鶴の教えの一つで、師匠亡き後も、私はその教えを固く守ってきた。新作講談で世に出た師匠は、新作はもとより古典講談も、新作同様に工夫を凝らしていた。亡き師が演じた他人の作品は、小島貞二作「双葉山」と、神津友好作「立川談志物語」など数本。いずれも師匠と親交のあった一流の演芸作家ばかりで、よほどの事が無ければ引き受けなかった。忠さんは、鶴遊用の台本作成の為、すでに彼女に原稿料を払ってしまったのだという。その作者は、以前に一度、私の講談会に手伝いと称して楽屋に来て、当日のゲストの方に名刺を勝手に差し出したりとやりたい放題。私の講談を頻繁に聞きに来ていた訳でもなければ、私の考え方を全くご存じないにもかかわらず、何故、鶴遊用の講談など書けるというのだろうか。私の連絡先も知っているはずだが、彼女からは何の相談も無かった。「こちらで台本書くのでやってよ」というご依頼はこれまでに何度もあった。講談の台本なんて簡単に書けると思われているのだろうが、プロの講釈師でさえ毎回難儀をしている。難しい内容を、簡単に話しているように聞かせるのは、実は、講釈師の腕前なのだ。
ニュー新橋ビル地下の居酒屋で、四兄弟への思いを涙ながらに語る忠さんに、私も思わず「一から台本を書いてもよろしければ・・」とお引き受けをした。後日、忠さんの事務所を訪問して取材。兄弟の直筆の手紙や日記の他、膨大な書類の数々を拝見、お借りした。自分でも、関連資料を収集し一席に仕上げた。展覧会当日は、育郎の恩賜の短剣の実物や、兄弟の遺品を前に口演。予定では三十分の持ち時間のはずが、一時間の長講に。終演後、スタッフやお客様から「四兄弟の事を面白く理解できた」と声を掛けられた。「平柳家を余すところなく紹介してくれたね」と喜ぶ忠さん。「自分の作った台本で、お客がどう反応するか楽しみだよ」と言っていた一鶴。講釈の釈の字は、己の解釈という意味。演者の創意工夫が無ければ、それは講釈ではない。自作の講談で笑わせ、泣かせて、喜ばせる・・それが講釈師の醍醐味だ。
田辺鶴遊(たなべかくゆう)
名古屋生まれ静岡育ちの講談師。芸能社経営の父の影響で2歳から芸能活動。8歳でヒゲの講談師・田辺一鶴に師事、翌年「チビ鶴」の芸名で初高座。東海大大学院中退後に上京。師匠が住む江戸川区平井に住み、鞄持ちのかたわら講談協会にて前座修業。平成21年、師匠没後は、一鶴の弟弟子にあたる宝井琴梅の門下。平成27年、真打に昇進し「田辺鶴遊」を襲名。小島貞二・神津友好らが選者を務めた朝日新聞千葉版の笑文芸欄「千葉笑い」の五代目選者。日本テレビ、ニュースエブリィ特集のナレーションも長年担当。自作の「後藤新平」「新島襄」は、NHKラジオ深夜便で放送され好評。古典から新作まで演目は多数。
<出演予定>令和6年2月10日(土)、横浜にぎわい座で初の独演会開催決定!
「田辺鶴遊講談会」13時半会場、14時開演。木戸銭は全席指定で3200円。
於・横浜にぎわい座芸能ホールにて。鶴遊演題は、「蜀山人」「後藤新平(鶴遊作)」の二席をたっぷりと。特別ゲストに後藤新平のお孫さん、河﨑充代さんをお迎えし、「後藤新平ホントの話」と題しての対談を行います。前座は宝井小琴。
チケットの購入、お問い合わせは045−231−2515(にぎわい座)まで。