KIRACO(きらこ)

Vol.168 私はイヤリングが大好きだ

2024年7月18日

吉成庸子さんのコラムを読めるのはKIRACOだけ

イヤリングとなると、ちょっと気に入ったものが売っていると必ず買ってしまう。すごく高価な品は買えないけど少し位高くても買ってしまう。そのかわりとても安いものでも気に入ったら、必ず買い求める。安物の場合は同じ物が二個あれば必ず二個買う癖がある。安物は耳から離れて落とす確率が高いと勝手に考えているからだ。ところがそうでもないのだけど。

たまにデパートの装飾売場を覗く。すると、すごく気に入ったイヤリングが必ずある。欲しいなあと、思いながら値札を恐々覗く。無理すれば買えるかな?と思える値札がついていたら、つい店員さんに「これ試しにつけてみていいですか?」と言ってしまう。

だけど残念。現在はほとんどがピアスだ。臆病な私は未だ勇気が出ず、耳に穴を開けていない。「ああ、やっぱりイヤリングじゃないのね」とつぶやくと、店員さんが「少し時間を頂ければ、イヤリングに直せます」と教えてくださった。私は嬉しくなって「それでは、ぜひ、イヤリングに直してください」とお願いした。そして、イヤリングになった。イヤリングを大切に持ち帰り、次の外出時に耳にしっかり付けて外出したが、どうも耳にしっかりなじまない気がして、落としそうな事ばかり気になる一日だった。

私のイヤリング好きには、理由があるのだった。それは、私が生まれた時、左耳がウサギの耳のように折れていたのだそうだ。始終、祖母や母は耳を気にして、手で直すのだが、すぐにまた折りたたまれてしまったそうだ。でも、祖母たちの努力のおかげで、小学校に入る頃には、耳は折りたたみにならず、普通の形になった。少しだけ左耳の方が小さかったらしい。耳たぶの形もちょっとだけ違った。

明治生まれの祖母は、嫁入りに差し支えると言って、悩んだらしい。その結果、髪の毛を耳が隠れるまでの長さのオカッパにして、イヤリングを付けさせることにしたのだ。小学校三年生になった時、三種類のイヤリングを買ってきて、祖母と母が、「学校から帰ってきたら、これを付けなさい」と言って渡してくれた。イチゴの形、お花の形、ぶどうのように少し房が下るイヤリング、三つともとても可愛かったから嬉しかったけど、何故?という疑問は残った。祖母が「学校へ付けて行ってはだめだよ。でも帰ってきたら必ず付けなさい」と少し強い口調で言う。それから母が「あなたが生まれた時は、初産だったせいかとても大変だったの。あなたは小さく生まれたので、ガラスの箱に入れられたのよ。頭には血のコブがあったし、耳は折れていたの。今は普通よ。でも少し耳の形が違うからいつもイヤリングをはめておこうというのが、おばあちゃまの考えの結論なの。きっと似合うと思うのよ。早速付け始めなさい。」 母の言葉に従いまず花のイヤリングを付けてみた。鏡の中の私は急に大人になったように映っていた。その日から私はイヤリングが大好きになり、存分いっぱい買い求めた。

プレゼントして頂いた物もたくさんある。妹は画家志望で、芸術大学に通っていたが、陶芸もやっていたので、よく私にイヤリングを作ってくれた。私の嫁入りする日を楽しみしていた祖母は、私が
中学生の時に他界してしまい、芸術家肌で、アメリカ人と学生結婚して海外旅行ばかりしていた妹も思いがけず早くこの世を去ってしまった。旅行先から必ず素敵なイヤリングを送ってくれた妹のことを思うと、たまらなく妹に会いたい思いに駆られる。母は九十九才で天国に旅立った、母は四人姉妹の三番目。勉強もよくできるし、スポーツ万能で佐倉女学校卒業後は、東京の伯母の家に住み学校へ通っていたそうだが、間もなく父との縁談が起こり、結婚。その後は市原と東京を行ったり来たりの生活をしていた。母が若いころ東京では、誰にも内緒で新劇の女優さんをしていたのよと母の従妹に教えられてビックリした記憶がある。母は亡くなるまで、そんな話を一度もしなかった。私が、中学生の頃、ほんのチョッピリ映画やテレビに出たことがあった。私は母が大反対すると思ったが、母は何も言わず、むしろ、怒る父をなだめてくれた。

母が父と結婚したのには、あるわけがあった。父は六人姉弟で姉四人と弟が一人いた。すぐ上の姉は、美人で有名だったそうだ。祖母がその人の話を時々思い出したように話してくれたが、「本当にどうして私達夫婦にあんなきれいな娘が生まれるなんて信じられませんでしたよ」と言っていたから間違いなしの美しい人だったのだろう?

その人は女学校を卒業すると、遠縁にあたる銚子の家に先方のたっての望みということで、嫁いだ。まもなく女の子を生んだが、その一年後、また身ごもった。嫁ぎ先の姑が、占いでお伺いをたてたところ、お腹の中の赤ちゃんは男の子だと言われた。後継ぎの誕生だと大喜びだったそうだが、その人は、妊娠中毒になり、子供を諦めるよう、お医者様から注意されたが、姑の皆が大切な後継ぎの誕生だから、どうしても生んでくれという話になった。その人は病と闘いながら、出産日を迎えた。ところが、出産でその人は命を落とし、生まれた赤ちゃんもすぐに死んでしまったそうだ。しかもその赤ちゃんは男の子ではなく、女の子だったそうだ。 (次回に続く)