KIRACO(きらこ)

「追」肉を捧げて追う

2025年12月4日

漢字を楽しむ

 文部省唱歌に「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川……」がある。大正の初めの作だから、文語調になっている。「兎美味し」とずっと思い込んでいた人もいたという話もあるが、耳から聞いただけでは、無理もないかもしれない。

 今回は、まず追の文字の起こりを追いかけることから始めよう。辶(之繞・しんにょう・しんにゅう)は、手書きをするとき普通は点を一つにするが、古い形では点を二つにする。辶の中身は何だろう。神に供える肉の象形だが、何のために供えるのかというと、軍隊が出征するとき、先祖を祀る廟(みたまや)や神社などに戦勝祈願のために供えるため。軍隊が行動するときはいつもこの肉を捧げて行動した。辶には行くの意味があるので、この肉を捧げて敵を追撃する、逃げる敵を追いかけて討つことを追といい、敵を追う意味になった、ようだ。のちに、追う・追いつく・及ぶの意味に用いるようになる。

 追儺という行事があった。大晦日の夜に悪鬼を追い払う行事で、中国から伝わったもの。宮中で行われたものが、のちに民間にも伝わり、節分の豆まきになった。節分は季節の分かれる日の意で、春夏秋冬の年四回あったが、立春の前日だけになった。この日、強い臭気で鬼を追い払うためにイワシの頭と、鬼の目を突くヒイラギの枝を戸口に飾り、大声で「福は内、鬼は外!」と豆をまく。団地やマンションで豆まきの蛮声を聞くことはまず、ない。気恥ずかしげに申しわけ程度で済ますらしい。じつは私もそうしている一人である。千葉県の成田山新勝寺では「鬼は外」と追い払わない。ご本尊のお不動さまの慈悲が、鬼でさえも救わずにはおかないからという。

 手紙では、書き忘れを後からつけ加える際に、追伸と追って書きを書く。電話の長話と同様で、
毎回となると見苦しい。

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