画面で三度、彼は天に視線を投げた。ご覧になりましたか、というように。
フィギアスケートペア「りくりゅう」のフリー演技は世界を席巻した。演技というより、それは二人の在り方そのものの表出のようだった。予め定められ、お互いのために生まれてきた、連理の枝、比翼の鳥のような二人。けれどカナダ人コーチ、マルコット氏の一言「龍一、靴を履いてくれ」がなければ結ばれない縁だったのかもしれない。あの奇跡の一言から二人の運命が交差し、ドラマが紡がれ始めた。全ての要素があの一言の求心力で凝縮し結晶したのだ。困難に直面するたび、示唆に富んだコーチの言葉は彼らを支え続けた。世界最高記録を樹立したあと、休みなく数限りないインタビューをこなしていた二人だが、彼らの言葉は常に安定していて、同じメロディーに乗り滑走し続けるように、アドリブであってもいつもお互いの思いやりと誠実さに溢れブレることはない。
運命の神が人生のチェスの駒を動かすのか、否、幸運を呼び寄せるものも、不運を招くものも、その人自身に他ならない。「運命は性格の中にある」という芥川の言葉そのままに。
古代日本で信じられた言霊の神秘。発した言葉通りの結果をもたらす力を持つ言葉の霊。言葉は人の口から放たれた途端、それ自体が生命を帯び不思議な力を持つ、という言霊の思想。善き心の人から発せられる言葉が幸運を呼び寄せ、人を陥れようとする禍々しい心は自らに不運を招く。言葉はそれを口にするその人そのものなのだ。
実のある言葉から芽生えたものが大きく成長し、大輪の花を咲かせる。不実な言葉からは、何も芽吹かず結実することもない。自称「自分に正直に」という傲慢も、寛容でないことも災いだ。実から出るのは大輪の花どころか、身から出るのは錆ばかり、ということになる。
ある夜、不思議な夢を見た。まだ仄暗い明け方の窓辺に、透き通ったクリスタルのような液体がなみなみと注がれたグラスが置かれていた。そこに夜明けの光が一筋差し込み、声が響いた。「それは言霊、覚悟があれば飲み干すがよい。少しでも躊躇いがあれば触れてはならぬ。」
飲み干す勇気が出ないまま目覚めてしまった。しばらく目の中に言霊の光の冷たさが残った。それ以来感情に任せた物言いをしないように、言わずもがなのことを口にしないように、と覚悟を決めて言葉を選ぶようにはしているのだけれど。残念ながら運命を定めるはずの性格はそう簡単には変わらない。
「お習字」講座に以前一人、筆文字をこよなく愛する人物がいた。毎日欠かさず筆をとり、その感触を愉しみ文字を書くという。それだけなら素晴らしいことだと思うのだが。あらゆる時と場を「私が、私は」の一人称で覆い始め、皆の神経に障るようになった。もともと堪忍袋の導火線の短いことには自覚のある私。休憩時間に話しをすることにした。桃李不言って、わかる?と。最終的に他の参加者との不調和で彼は辞めていったが、結果的に三行半を突きつけることに。なんの実も結ばなかった成り行きになんとも後味が悪かった。運命は性格の中にあるって?納得したくないところこそ納得のゆく理由だ。善き人にならねば…。
得点が表示される直前、三度目に素早く天に目を走らせたマルコットコーチの唇は一瞬祈りの言葉を形作っていた。
「アーメン、誠にかくあれかし」
はじめの言葉から、彼は幸運を確信していたに違いない。
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