その年も、七月に入りすぐに暑い毎日が続いていた。私は千葉大学病院に、いつも通りの検査に行っていた。汗をハンカチで拭いながら、まだ終わっていないレントゲン室の方へ向った時に館内放送で「吉成庸子さん、血液内科におまわり下さい」と呼びかけが聞こえてきた。「血液内科?」私は、不思議に思いながら、売店の人に血液内科の場所を聞き、診察室に向かった。診察室に行くと、一人のお医者様がいらした。その先生は、私を自分の前の椅子に腰かけさせてから「あのねぇ、吉成さんでしたね?残念ながら白血病だと思います。それで、詳しく検査をしなければなりませんので来週の水曜日、午前十時においでください。出来ましたらご主人もご一緒に来て頂きたいのですが、治療法などご相談しなければなりませんので」の先生の言葉に私は「先生だって、夏休みがあるでしょうから、あわただしく検査しなくても、涼しくなってからでもいいんじゃないですか?」と言った。先生は「いや早くやりましょう。そして、安心して夏休みすればいいんじゃないですか」とおっしゃった。「そうですねぇ」私は心もち元気のない声で答えた。
そして、私は指定された時間に病院に行き、白血病のすべての検査を済ませた。吉成はどうしても仕事が入っていたので同行することは出来なかった。
その後一か月余り入院した。週一回通院するからと、先生に結構ねだって家に帰った。白血病は私の場合だけかもしれないが、時折すごくだるくなったり、熱が少し出たりしたが、その他はあまり辛くなかった。だから私は、きちんと先生との約束は守ったうえでポツポツと平常通りの生活にもどしていくことにした。結婚してから、私は千葉の朝日カルチャーに通っていた。銀座のクラブ時代のお客様に新聞社の方がたくさんいらした。そんな関係で「今度、千葉に朝日カルチャーができるので、何でもいいから一講座とってほしい」とお電話を頂いたのだ。運動系はまるでダメだから俳句でもとやってみようと思い立ち、申込に行ったが俳句のクラスはすべて満員。そして、エッセイ教室というところへまわされた。エッセイの意味がわからず、私は通うことにした。四十人位の生徒がいた。その三十人くらいは女性、若い方より年配者が多かった。私は、文章など書いた事がまったくなかったので、「、」とか「。」の付け方から教えていただいたので助かった。そして、必ず宿題が出た。それを先生が翌週の教室で一人、一人、批評してくださる。何故か、私はよく褒められた。褒められるとうれしく、私はせっせと書き続けていた。そんな中に、私は白血病になったのだ。一時期、仕方なく教室はお休みしていたが、ポツポツ教室に戻り始めた頃だ。出版社の方が教室にいらした。何でも先生が私の宿題の作品をまとめて、出版社に「ちょっと面白い人がいるよ」と言ってそれを持っていかれそうだ。それを読まれた出版社の方が「本にしませんか?」と来てくださったのだそうだ。私はビックリしたけど、嬉しかった。白血病のことは、誰にも口にせず、日常通りの暮らしに戻っていった。本づくりの打ち合わせに東京に何度か出かけたが辛くはなかった。やがて、本が完成、書店に並んでいるのを見た時は本当に嬉しくて、いつも頭から離れない白血病の事をそんなに意識しなくなっていた。幸いにも本の評判がよく、少し売れた。二冊目の注文も入った。書評とか書いて頂いたせいかこの本も、少し売れた。原稿もポツポツ頼まれた。まったく、文章に対しての自信のない私だったが、なにか、やることができたのは、とても楽しく、あらためて、身体を大切にして長生きしたいなと思うようになった。病気のこと、忘れる日も出てきた。
だが、先生は、手を抜かず、きちんと治療をしてくださっていた。こんなに元気なんだから、一回二回休んだって大丈夫だと思いサボったら、先生からら電話を頂き「休まず来てください」と言われて恐縮してしまい、それからは、まじめに病院通いはしてきた。白血病を抱えたまま元気で十数年が過ぎた。父も母も妹もそして、亭主の吉成まで、天国へ行ってしまった。うるさいオヤジで叱られてばかりいた私。でも死なれてみると、やはり淋しい。私に残ったのは二人の弟だけになってしまった。上の弟と私は一つ違い、下の弟は一回り位違う。甘ったれで、私と上の弟はどうしようもない奴だとあまり相手にしていなかった。その弟が、社会人になった頃から「姉ちゃん、僕で役に立つことがあったら、何でも言って。手伝うから」と言い出すので、おかしいやら、嬉しいやら複雑な気持ちを持ったものだ。
「吉成さん、白血病、完全に治りました。もう、薬もやめましょう。良かったですね。」と先生が言ってくださったのは、去年の春だった。長いことかかったけれど、治ったのは、嬉しく、ありがたいことと、先生に深く感謝したものだった。そして勝手に白血病は治るんだ。そんなに恐ろしい病気じゃないんだと思いこんでしまった。だから、下の弟が「僕、白血病なってしまったらしい」と言ってきたときもあまり心配しなかった。ところが弟は三か月位で死んでしまった。ショックだった。そして、どうしてもっと真剣に考えてやらなかったのだろうと自分を責めた。末っ子の甘ったれなんて思っていた自分を責めた。弟の良いところばかりが、浮かんでくる毎日だ。そして白血病はやはり恐ろしい病気なのだと思っている。
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