「猫」仏教と一緒に来た
有名な話だが『大言海』の猫の説明がニャンとも楽しい。
「……人家に畜ふ小さき獣、人の知る所なり。温柔にして馴れ易く、又よく鼠を捕ふれば畜ふ。……形虎に似て、二尺に足らず。性、睡りを好み、寒を畏る。毛色、白、黒、黄、駁等、種種なり、その睛、朝は円く、次第に縮みて、正午は針の如く、午後復た次第にひろがりて、晩は再び玉の如し。陰処にては常に円し」
著者大槻文彦は愛猫家で、猫の睛の観察をした結果報告を辞典の上にしたであろうか。犬の「……最も人に馴れ易く、怜悧にして、愛情あり、走ること速く、狩に用い、夜を守らするなど、用少なからず。種類多く、近年、舶来の種ありて、……」に比べ、猫可愛がり的愛情を注いで書いている。
家猫は奈良時代の初めに中国から仏教とともにやってきた。鼠に大切な仏教の経典を食い荒らされないために、船に猫を乗せたのが最初であるといわれる。
猫はすばらしい視力を持っているが、色の識別は無理のようである。ひげはアンテナ代わりであって、狭い通路が通り抜けられるかどうかこれで測る。舌の表面はやすりのようにザラザラしている。骨についている肉をとり、皿をなめるようにきれいにし、毛づくろいのとき櫛の役割をする。
猫を飼おうという人は、責任を持って猫にマナーを教え込まないといけない。特にトイレと爪とぎだといわれるが、近所迷惑なのはトイレ、あの臭気である。
猫に鰹節、猫に小判、猫の首に鈴を付ける、猫の額など、うまい言い回しが多い。十二支に猫が入らないのには二説ある。釈迦入滅の日に猫が駆けつけなかったから。神様が正月にやってきた順に十二支を決めるといわれた際、鼠が猫に日を遅らせて告げたから。以来猫は怒って鼠を捕るという。