Vol144 コロナの余波

コロナの余波

前号にも書かせて頂いた《コロナ騒ぎ》、未だに完全収束のメドが立たないまま、月日は容赦なく流れて行きます。
この地球上で、今回の騒ぎに一切関わりなく過ごせている人は皆無と言って良いのではないでしょうか?
その点では先の戦争とは比べ物にならないくらいの規模と恐ろしさを感じずにはいられません。
もはや実社会との直接の繋がりを持たない、高齢者の私でさえ、今までとは全く違う日々を余儀なくされています。

我が家の息子もご多分に洩れずテレワークなるものに取り組み始め、普段と違うライフスタイルに切り替わって、私自身も以前のようなノホホンとした暮らしから、自然と遠ざかってしまいました。

そんなさなか、東京に住む孫のところで第二子が誕生したのです。

長女…つまり曾孫(ひまご)はまだ三歳。こんな騒ぎにさえならなければ、普段通っている保育所でずっと見て頂けるので何ひとつ心配もしていなかったのです。しかも入院を予定していた産院が、一連のコロナ騒ぎで、面会客がらみの感染を警戒し、家族もシャットアウト。分娩後にすらお出入り禁止だというのです。

もともと共働きの夫婦、頭を抱え込んでしまいました。そんなことも影響したのか、予定より少し早く陣痛が。

そこで実家でしばらくの間、上の子を見てもらえないだろうか?というワケで家に相談の電話を寄越したらしいのです。家族からその事を知らされた時、曾祖母の私としては、もう願ってもない嬉しい知らせ、としか言いようがありませんでした。

なんせ子供大好き!の私。十年以上も習志野市秋津の《福祉センター》でボランティアのベビーシッターをやらせてもらっていたくらいですから。

ただその子とはずっと離れて暮らしていて、お正月とか誕生日とかにしか会わず、たまに会うと人見知りも手伝って、なかなか打ち解けてもらえないのが唯一の気がかりでした。

それともう一つ、私自身は姉二人妹三人を持つという大家族の中で育ったというのに、生んだのは男の子ひとりきり。そこで孫には女の子を期待したのでしたが・・・生まれてきたのは二人共男の子。ですから、初曾孫(はつひまご)が女の子だった時の嬉しさは格別でした。

やって来たその日、まず驚いたのは、男の子と女の子ではこうも違うものかという感覚でした。ベビーシッターで昔、いろいろ経験していた筈なのに、今回久々に幼児に接してみて、その仕草、ものいいに改めて心動かされる思いでした。
第一皮膚の感触が違います。むっちり・・・というか、柔らかさがあり、いうなれば一種のお色気?
殊に〝お母さん座り゛などは孫にも息子にも見せてもらえなかった姿なので、おままごとの相手をしながらも、そうした感動をそぞろ楽しんで見ている、そんな私なのでした。

人間は生まれ落ちたその時点から、自分自身が持って生まれたホルモンの働きに左右・・・というよりも支配?されて成長してゆくのだそうで、それはいわばそれぞれの《運命》にも大きく関わっていくものに違いありません。老化の速度などにもホルモンは大いに関係があるのだそうで、テレビ画面に映る政治家やコメンテイターの名前の横にカッコ付きで記されている年齢に、(へえーこの人そんな年齢なの?)と驚くほど若々しい人もいればその逆の人もいる。
それらがすべてもともと持って生まれた時点でのホルモン配合の結果なのだとすると・・・何だか不公平にも思えてくるのは私だけ?でしょうか。
いずれにせよ、今回のいわば《コロナ渦中》なればこそ味わえた、曾孫とのふれあいには、何かと感ずる所があったのでした。

さて、明日は帰宅という晩、

「もう明日はサヨナラだから、マーばあちゃん《私の通称です》と一緒にお風呂入ろうね」そういうと
「いいよ。まーばーちゃん、さきに入っててネ。あとから行くから」

私は、いつもは夜中一時すぎに入るのですが「シメタ」とばかり、珍しく八時頃浴室に。暫くして
「もういいよー、いらっしゃい!」 
と湯舟の中から叫ぶと、暫しの沈黙の後、
「えっちゃん、やっぱりパパと入りたいの!」

 全く、なんとも情けない結末なのでした。