KIRACO(きらこ)

Vol146 一鶴遺産のゆくえ

2020年11月5日

一鶴遺産

一鶴遺産のゆくえ

師匠亡き後、遺品の整理について一門で会合がもたれた。副業で開いた芸能書専門古書店・イッカク書店に残された在庫や、講談関係を主とした師匠の蔵書については、こちらも古書店を経営されていた御子息に売却して頂き、着物は弟子一同で形見分け。その他、師匠がこれまで出演した番組の録画・録音テープや台本、チラシ、写真等活動の記録、原稿、愛用品などの、値段のつかない品々は私がお預かりする事となった。みかん箱でおそらく数百箱はあろうかという荷物を収める場所を求めて、平井の不動産屋を巡った。

その中で、駅北口の一軒。店主の粋なべらんめぇ調を聞き、「元は芸人さんで?」「いいや、でも寄席にはよく行くよ。へえ、一鶴さんの弟子かい。」三木隆さんとの出会いだった。以後、三木さんと奥様・文子さんには、公私ともにお世話になるが、この時は、別の不動産屋の世話でボロアパートの一室を倉庫として借り受けた。二年後の更新の折、再びの相談に「一鶴さんの資料は日本の演芸界の宝、一肌脱ごうじゃねえか。」と、三木不動産隣りの古い一軒家を、かなりの好条件で貸して下さる事に。家賃負担が軽減したのはもちろん、広くなった倉庫では、私の真打披露の際、大量の引き出物を仕分ける場として、後輩たちが作業にあたってくれた。披露目には三木夫妻にも出席頂いた。

昨年末、平井駅北口の再開発計画で倉庫の立ち退きが決まり、今年に入り、昭和四十九年創業の三木不動産も閉店を余儀なくされた。さて、膨大な一鶴遺産の行方や如何に。私の住まいに置いては寝場所の確保は難しい。都内近郊で、広さも十分なアパートを正規の家賃で借りるような懐の余裕はもう無い。昨今流行のレンタル倉庫では手狭・・退去期限の迫る中、その答えは浅草で見つかった。

銀座線浅草駅、我が国最古の地下街「浅草地下商店街」の一画にある「カフェ・ド・ママ3」。小林和子ママは、芝浦の老舗洋食・キクヤレストランの女将で、私の好きな温泉地、青森・浅虫温泉出身の雅さんと切り盛りしているこの店には、二ッ目時代からお邪魔。ママには一方ならぬお世話になっている。お店の目立つ所に講談会のチラシを毎度貼って下さり、来会頂く事はもとより、多くのお客様もご紹介下さる。若輩が恐縮だが、私はママの眼力を心底信頼していて、御常連に悪い方はいない。田畑裕康さんは某有名企業の幹部。お酒をご馳走になりながら件の話をすると、「昔、親父のやっていたそろばんの教室が空いてるよ、ウチでよかったら。」「是非貸してください。」しかも、三木さん同様の条件で構わぬという太っ腹。晴れて、亡き師匠の荷物は、田畑さんの住まい、埼玉県川口市へお引越しと相成った。

時おりしも三月の二十七日、程なく、緊急事態が宣言をされようという頃おい、いざ引越しと集いし面々は、落語・浪曲・漫談・歌・コミックショウにジャグリング、忘れちゃならない講釈と、総軍合して十一名、いづれも芸人ばかりなり。

トラック・ワゴン車で三台分の移動を首尾よく一日で終了出来たのは仲間のおかげ。この面子で、来年早々、「引越“疲労”興行」と題する演芸会を開催してみたい。

図らずも疲労困憊の一年となった今年。亡き師匠なら、一体どうしてこの困難を乗り越えて行くのだろう。人生の行方も、何もかも、全てがわからなくなった令和二年だった。

田辺鶴遊(たなべかくゆう)
名古屋生まれの静岡育ち。江戸川区平井在住だった講談師・田辺一鶴のもとで前座修業を開始。師匠没後、宝井琴梅門下。平成27年真打。