東京湾から令和を見る(9)「コロナ禍で学んだ事」
鱸(スズキ)が日本一漁獲を誇る東京湾。東京の前浜が鱸の代表的な産地だ。
コロナショックが人々の外出や遠出を制限し観光業が窮地に、これを打開しようと、観光業、飲食業の振興策として、GOTO キャンペーン、観光旅行、飲食店の利用に補助金を国が出す事に。
この企画から東京都が一時除外された。理由はコロナ罹患者が毎日100人以上、200人余りに。この状況下でコロナ感染の拡大を恐れたからだ。
この事をチャンスと都内に全国グルメ街が出現した。都内に閉じ込められた都民に北は北海道から南は沖縄まで。この中に江戸前の名産、鱸がない。「なぜ」。
東京には公営市場豊洲が。そこに世界中の魚が集まる。しかしコロナ禍で消費が冷え込み卸売市場で荷の流通が滞りがちで四苦八苦。原因はパンデミックで世界中の産地も、消費地も身動き出来ないのだ。飛行機が飛ばない、船も、コンテナーが動かない、末端の消費が縮小し動かない開店休業状態だ。
産地から消費地の距離が大きければ大きい程、間の手順が複雑で思うようにならない。障害はなにか、消費地から遡ってチェックする。究極的には消費地と産地が直結していれば仕事が省かれ時間や人工が縮小し、流通がスムーズに。
即ち「地産、地消」だ。そう考えると、「なぜ」鱸が東京で消費されないのか大きな謎だ。
一方サンマが東京で獲れる訳で無いのに目黒のサンマが有名だ。サンマが不漁だと日本国中が大騒ぎ、鮪も、鰹も、鯖も、鮭も、いずれも業界が大きく力の有るものばかりだ。同じ魚でも鱸は前者に比べると淋しい限りだ。
東京湾は良いにつけ悪いにつけ世界の大都市東京の影響を受ける。漁場環境は東京の生活環境の延長線上に見られる。一昔前からすると、水環境の改善は大きく進んだ。東京湾の姿は東京の鏡でも有る。そこから目を背けるので無く腹をすえてじっくり取り組んだらどうか。東京のレストランで、料理屋で、飲み屋で、江戸前のスズキ料理があってもおかしくないはずだ。かつてニューヨーク・マンハッタンでロングアイランド産の「ストライプバス」が名物だったように、「トウキョウベイ・シーバス」が名物になっていいはずだ。
「なぜ」ノルウェーのサーモンが鱸より有名で珍重されているのか。ノルウェーのサーモンは100%養殖で安定供給出来、国を上げて販売活動を行っている。
日本へ漁業大臣、水産学者、養殖業者、水産関係者等々一団を組みセールスに来る。お台場の科学館を貸切り、日本の農林水産省、水産大学、市場関係者、ホテル、飲食業者、多数の参加者を招待し、セミナーを開催、昼食、夕食、懇親会に無料招待する。結果生産量の99%が輸出され日本の隅々まで、子供、女性がサーモンの虜に。廻転寿しで、レストランでホテルで。これと同じ努力をしないと鱸は売れないのか。その上北欧の規格制度を真似てエコラベル等と漁師に難解な、ルールや仕事が取り巻く。こうした最中に時々刻々と豊かな生態系が失われている。多くのウェットランド、河口域の浅海域、稚魚の揺藍の場が埋立、土地造成等々で消失して来た。この事には無関心で反省の欠かけ片らも無い。
水産業、漁業の復興の為と称して、魚の相場を上げようとブランド化、エコラベルの取得、漁業の6次産業化(1次産業に2次産業の加工業、3次産業の販売を加えて1+2+3 =6六次産業)。
事業は人也、資本主義の競争に勝つ人材が無ければ成功は難しい。
本業の漁労面でも人出不足を外人で補ったり、机上論が先行し、どこか的外れのような気がする。良い物を経費を掛けずに適正な価格で。人手不足は機械、デジタル化して省力化を(ノルウェー式)。
資源を枯渇させない為には漁場環境の回復努力をと思うがいかがか。
消費者にはスローフード、シンプルライフを。パリジェンヌは料理好き、包丁さばきも鮮やか。食卓の楽しさに時間を掛けられる気持。コロナから学んだ。
旬の味
コロナ禍を避ける為に一肌脱ぐことにした。大平丸で水揚げした魚を肴に、我が家のリビングを開放して友人と四人で、旨い酒を飲むことに。中心になる料理人は、船橋で有名な和食で老舗の今は隠退している元板前でオーナーのK君。家屋設備業のY君。両国でTシャツデザイナーのS君と漁師のOの四人。広さ20畳の中に間隔を開けて、高さ2m、巾1mの窓を開け放し、暑い日には同時にクーラーを起動し、盃を傾けた。
魚は勿論、鱸、鰆、石持、カマス、鯖、太刀魚、鯵等。時化続きで魚が無い日には、ビノス貝。刺し身や、スープで。
K君はプロの腕前を揮ふるい、包丁捌きは鮮やか、盛り付けは料理屋そのもの。
酒はビールかハイボールから、日本酒を好むか、ワインか。何時の間に時が過ぎて行く。因みに年令は80過ぎの私、ピタリ70が二人、50が一人といった所。一番若いY君が、時に女性の飲み友達を2~3人同伴する事が有る。
K君以外も時に男の料理を披露する。