KIRACO(きらこ)

Vol149 ドンニャ・マリキータ

2021年6月10日

中田芳子さんのエッセイが読めるのはKIRACOだけ

ドンニャ・マリキータ

 「 昨年度の売り上げ二十一億円。十年前の十倍増!」

新聞を読んでいたらこんな見出しが・・・一体何のことだろう?と読んでみると、最近アメリカでの《レコード売り上げ》がCDを上回ったという記事なのでした。
同じように日本でもレコードの売り上げは近年うなぎのぼりに上って来ているようで、やはり十倍に達しているとか。

それもユーザーが《年配者》ならまだしも、若い層、しかもミュージシャンなどのプロがほとんどだといいます。「人間が本能的に求めてホッとする音・・・」と、その魅力を絶賛している、というのです。

《意外》でもありましたが私にとってはまさに《我が意を得たり!》の記事でした。

昭和初期に生まれた私、生まれ育った頃は当然アナログ環境です。
なんせ手回しの蓄音機でレコードを聴くのが当たり前の世の中でしたから。

台北の我が家にもボックス型の蓄音機があって、兄たちが奪い合ってそのハンドル?を回していた光景が今も鮮明に蘇ってきます。

同じように思い出されるのが、まだ小学校にも上がらない頃、よく遊びに行っていたお友達のお店でのこと。
そこは何とビリヤードで、何故か昼間っからお客が絶えることなく入っていました。

当時はまだ戦争の気配もなく、といっても国外への出兵は当然ありましたし、台湾という外地だったからこそ、そうした日常が保たれていたのだと思いますが、その薄暗い照明の部屋が子供心にも珍しくて、キューを手にしたおじさん達の間をチョロチョロしながら遊んでいたものです。

お友達のお母さんはそのお店でレコード係りをしていました。

レコードは沢山置いてありましたが、お母さんはよほどその歌が好きだったらしく「ドンニャ・マリキータ」という曲を繰り返しかけていました。
いつのまにかその歌を全部覚えた私は、家に帰ってからもよく歌っていました。
幼くて意味も解らないのにその切ないメロディを口にするたび、大人の世界の寂しい裏側を垣間見るような想いがして、何とも悲しい気持ちに囚われるのでした。

月日は流れ、人生も半ばに差し掛かったある時期、私はあの「ドンニャ・マリキータ」が無性に懐かしくなり、楽器店のレコード売り場に問い合わせてみたのです。

当時、エレクトーンの自宅教室講師として銀座のヤマハにはよく出入りしていたので、とても親切に対応して頂いたのですが残念ながら手がかりも掴めずじまい。当時主流だったカセットテープにもその歌は入っていませんでした。

以来それは私にとって《幻の唄》となり、《もう一生聴くこともあるまい》と、淡い郷愁と共に心に潜めておくしかなかったのです。

その後オーディオの世界はご存じのように目まぐるしく変貌してゆきます。

あれほど主流を誇っていたカセットテープは突如台頭してきた「MD」にとって代わられ、エレクトーン本体にもMDが組み込まれたり、指導する側も対応に追われておおわらわでした。

でもそれも束の間、やがてやってきたCDの黄金時代!レコードもカセットテープももはや前世紀の遺物です。
更に進化はとどまる所を知らず、今や音楽は手元のスマホで自由自在に何時でも何処でも!という時代の到来。

さて本筋はこれからです。

あの、「ドンニャ・マリキータ」、もはや生涯聴くこともないだろうと諦めていたあの歌を、ある日なにげにYOUTUBEで検索してみたらアッという間にズズゥ~っと!
「ウッソォ~!」胸が躍りました。

歌っていたのは《淡谷のり子》だったのです。
歌詞も、メロディも私の記憶そのままでした。
懐かしさに思わず涙していました。

でも・・・違うのです。
何処が?と聞かれても即座には答えられないけれど、聴こえてくるのはやはり「器械」を通してのアコースティックな冷たい響きでしかなかったのです。

あの頃、幼い私が涙したのはレコードの《ひずみ》が齎もたらす微妙な空気の揺れ、それが、切なく心を揺さぶったからなのでは?

今、若いミュージシャン達が目覚め始めている《人間としての心》を取り戻そうとする動き!それは私だけでなくすべての人々にとって、又とない朗報なのではないでしょうか?