Vol150 愛しのオッタヴィア
何年経ってもドイツ語は私にとって外国語である。彼らにとって陳腐な普段使いの、擦り切れた単語であっても、何かのきっかけで突然天啓にうたれたように感じ、牛の反芻胃の様に、心の中の四つの部位(過去、現在、未来、そして私自身)で噛み締め続ける。
「アルバイト」というカタカナ語は日本の学生の必須単語。恐らく旧制高校の生徒あたりの言葉かと、調べてみると明治の頃から「学業の傍らの仕事」のように使われていたらしい。ドイツ語のArbeitには物理的肉体労働から頭脳労働まで広範囲での仕事が含まれる。アルバイターは(肉体)労働者、博士論文は「ドクター・アルバイト」だ。
それとは別に職業を表すベルーフという言葉がある。それぞれ多義語であるが、一つ取り出せば、ルーフは要請、ベルーフは職業、動詞でベルーフェン=任命する、というように連鎖する。
そして名詞のベルーフング。
これは(神による)召命、天職(使命)の賦与、と訳される。この言葉を知って以来、心が捕らえられたままでいる。なんと崇高な言葉だろうと、感激した。
いちいち大袈裟な奴だ、と思われるかもしれない。けれどそれは私自身の限りない憧れなのだ。日々の糧を得るために働く人々で、実際どれだけの人が天職と感じて献身できているのだろう。順を過ぎても、未だに私には天の声が聞こえない、という痛みがある。
世界に誇る日本のイチローが引退した時の言葉だったか、ちょうど里帰り中でテレビを見ていた。未来に向かう世代への伝言。深く印象に残った。
「人はできることをしなければ、と思う。そうではなく、本当に好きなことを全力で、一生懸命やり続けてください。」意訳であるが、こんな趣旨だった。歴史的表記の「一所懸命」よりも「一生懸命」が似合う、と思いながら聴いていた。寝食を忘れるほどの、心から好きなものを見つけられない人間の悲哀を感じながら。
一家の友人に若いイタリア人ピアニストがいる。コンサヴァトリウムを首席で卒業し全イタリアピアノコンクールで28回優勝。世界的なヴァイオリンの巨匠ギドン・クレーメルに招聘され共演。また(前)ドイツ大統領ガウク主催で主賓にナポリターノ伊大統領という迎賓館での独伊文化交流の夕べにも招かれた、イタリアの誇る芸術家である。が、驚くほど謙虚に地道に活動している。世界レベルのオーケストラと共演する一方、老人ホームの慰問など社会奉仕のために何処へでも飛んでゆく。オッタヴィアにとって、音楽は天より賦与され託された使命であり、献身するものなのだ。ベルーフング、彼女のためにある言葉だ。「尊敬する師匠が『音楽を商売にしてはいけない。魂を売ってはいけない』と言ったの」と言う。(まぁ彼女のお師匠様ご自身は世界の有名オーケストラと共演しているけれど…)「小さい頃から神童と言われたけれど、その看板を売っては私は私でなくなる」「私の人生が私のもので失くなってしまう」と大手エージェントと契約しない。マネージメントも一切合切自分で行う。
『オッタヴィアは稀有な個性と人格を持った 類稀な芸術家である。彼女は常に 自分の魂の声を聴き続け、非凡な演奏法で聴衆に挑戦し続ける。今の世界では多くの若い演奏家が、ただ好評を博することに心を奪われている。スコアの奥から音楽にアプローチすることを最優先にする彼女の姿勢に心が洗われる思いがする。』 ギドン・クレーメルの評だ。彼の言葉が全てを簡潔に表している。
こう書くと霞を糧にする聖人のようだが、実はオッタヴィアは飛んでもなくお茶目だ。
『ドラゴンボールは哲学だ』と彼女は言う。息子はお土産にと全巻日本から運んだ。それで日本語を学ぶことに少々危惧の念を抱きながら…。実は彼女は私の書の生徒であり、武道では夫の弟子でもあった。彼女の黒帯各種有段の武道歴は音楽歴とほぼ同じ長さ、どちらも彼女を成す大切な要素だ。残念ながら数年前イタリアに帰郷し、暫く続いた書の稽古も途絶えてしまった。一度東京の書展に出品し秀作賞を戴いた。書きたい文字を、と伝え彼女が希望の言葉を選んだ。ほぼ正方形の料紙に合うものとして四文字「無我夢中」を甲骨文字で描いてもらった。しかし、ずっと後になってから彼女の思いは別の語義で、訳としては「献身」だったのでは、と、ふと思うに至った。けれどそれはお互い全くかけ離れたものではない、と今でも思っている。
オッタヴィア・マリア・マチェラティーニ、検索すると彼女に会える。