
《コロナ》という言葉を最初耳にした頃から、もはや二年余りもの歳月が・・・。まさかこんなにも長引き、世界中を震撼させる事態になろうとは誰ひとり思っていなかったはずです。
身内を亡くされた方の哀しみは如何ばかりでしょう。
私の尊敬していた指揮者の先生も、昨年の秋、ほんとうに呆気無く他界なさいました。
十年ほど前、合唱団の一員に加わらせて頂き、あのカーネギーホールで歌ったことがあり、その日のことは、この「きらこ」誌上にも、《背中にシップのカーネギー》というタイトルで書かせて貰ったのでしたが、まさかこのような哀しみを享けることになろうとは・・・。
先生からはその後あとも、コンサートの度にお知らせを頂いて、都内までよく出かけていました。
そもそも私如きがカーネギーで歌えた、ということ自体、奇跡のようなもの。
当時、千代田区で定期的に活動していた「千代田の杜もり合唱団」という、歴史ある団体がカーネギーホールに遠征することになり、たまたまそこに欠員が出た為、お声がけを頂いたのです。
最初の練習日、私の中には大きなためらいがありました。
その頃私はすでに八十代直前。他の皆さんは、といえばまさに人生これから!といったお齢とし頃です。しかも私は途中参加。怯ひるんで当然でした。
でも頂いた分厚い楽譜をめくって見ているうち、(歌いたい・・・)という気持ちが少しずつアタマをもたげ始めていたのです。
まあ取り敢えずその日は体験入団。例え不合格でダメモトと、ハラを括くくっていたその時でした。
颯爽とレッスン場に現れたのは・・・指揮棒を手にした長野力哉先生!
背が高くてエキゾチックなその横顔は、高校の頃、美術室に並んでいた石膏の胸像たち・・・ギリシャ神話にでも出てきそうな面おもざ差し、そのものだったのです。
こうなったらナカダとしては何としてでもニューヨクに行きたい!いえ、行かねばならぬ!(そうです。もともとトキメキにはからっきし弱い私なのです)
という訳で、その日は全力投球!無事参加のお許しを手にしたのでした。
いよいよ訪れたカーネギーの本番。
私はソプラノの中でも一番のおチビ・・・・当然最前列です。指揮者を真正面にみる形で歌った日の、まるで雲の上にでもいたような夢心地は生涯忘れられません。
私の人生に比べれば遥かに短い生涯だった先生。その後のご活躍の場も沢山決まっていたというのに、どんなにか無念でいらしたことでしょう!
人はこうも呆気無くこの世から姿を消してしまうものなのか?
以来、私の「死」に対する思いは大きく変わってきました。それまでも戦時中に遭遇した若い特攻隊員との哀しい別れ、更には父や母、兄弟との決別もありましたが、今では自分自身が《彼岸》の近さを実感する年齢です。変わって当然だと思います。
ましてコロナという、不穏な世相。外出もままならず、引きこもりにも似た日常が続きます。コロナに幽閉されて、しみじみ思うのは、無為に過ごした一日の、何とも言えぬ虚しさ。心の重さ。
こんな時、気を取り直して、《不肖ナカダ、今後は世のため人の為に生きることを誓います》・・・などと、大見得を切ってみせたい処ですが・・・残念ながら、それほどの人徳は持ち合わせてはおりません。むしろ《これからは、もっと自分を大切にして生きていきま
す》と言いたい・・・。そう、こんな暗い世相だからこそ、気を取り直して明るく生きねば!
その為の項目を幾つか挙げてみました。なんとトップの座を占めたのは、《食べたいものは躊た め躇ら うことなく食べよう!》なのでした。
今テレビではお料理番組が各局花ざかり。今まで何かにつけて外食を楽しんでいた人たちが、このご時世となり《おうちご飯》にリキを注いでいる為、なのだそうです。
そういえば最近私も、夕食に炊事当番を仰せつかった時など、自分にしか出せない《かくし味》にニンマリしたり、やる気満々!自分でも驚いています。
色んなものを人類に遺していったコロナ・・・
何とかいい項目を選択して前向きに生きるとしましょう!
