KIRACO(きらこ)

Vol157 その一言に生かされて

2022年9月8日

一鶴遺産

6月15日、船橋市葛飾公民館で開催の「江原素六と山野」では創作講談「江原素六伝」を披露。これまでの江原伝を土台に、市川・船橋戦争での幕臣・素六の奮戦と、旧山野村の人々との交流を描いた。当日は、素六の子孫で、素六が創立した麻布学園で理事を務める、江原素有先生夫妻もご来会、楽屋にて激励を頂き恐縮した。客席は、初めて講談を聞く方や年配の方が多数。笑いをたっぷり、身振り手振りも加え、わかりやすい言葉を使うよう心がけた。お見送りの時、お客様の一人に「よかったねぇ、落語より面白かったよ。」と声を掛けられたが、私にとっては一番の褒め言葉で、創作の苦労が一遍に報われた。

亡き師匠一鶴は、講談は世界一の話芸と言って憚らなかった。しかし、「講談は大衆演芸、面白くなきゃだめだよ」とも言っていた。ともすれば独りよがり、上から目線になりがちな講談という話芸。聞いて下さる方あっての芸能ということを忘れてはならない。

真打に昇進した頃から、不定期にお声掛け頂く仕事に、日本テレビ夕方の「ニュースエブリィ」特集コーナーのナレーションがある。私は何故か、飲食店を取り上げる回ばかりを担当。原稿は収録当日に渡される。そこで初めて映像を見て、吹き込んでいく。臨機応変、テレビの前の視聴者を考えながら喋り方を変えていく話術は、講談と共通するようだ。

最近驚いたことに、知っている店が二軒、VTRに出てきた。自分と関わるお店が登場したのは初めて。浅草・千束通りの「デンキヤホール」は明治36年創業の喫茶店。三代目女将の杉平淑江さんは、誰より浅草の歴史にお詳しい。二ツ目の頃に顔を出すようになったが、講談会のチラシを貼ってくれたり、正月に佃煮を頂いたりとお世話になっている。

浅草公会堂の裏通り「餃子の王さま」には、子供の頃、亡き父と行った思い出が。前座時代は浅草のお客様に連れられて。今も木馬亭の出番の後などに、一人、スープ餃子を食べに行く。ここは、亡き師匠お気に入りの店でもあり、鞄持ちで何度もお供をした。三代目店主の佐々木光秋さんに聞くと、先代がよく一鶴さんの話をしていたよと教えてくれた。

日本橋亭の出番が終わり着替えていると、携帯に着信が。昨秋、木馬亭での「鶴遊四十周年の会」にゲスト出演して下さった読売新聞特別編集委員・橋本五郎さんからで、「今エブリィを見てるよ、頑張ってるね、また一杯やろうな。」と優しい声。執筆に、コメンテーターにと、忙しい五郎さんが、わざわざ電話を下さった事が、何より嬉しかった。

その五郎さんが進行役の「後藤新平シンポジウム」が7月5日に座・高円寺で。今年は、「後藤新平伝~衛生との出会い」と題し、広島県似島での取材をもとに、新平の日清戦争後の活躍を中心にした一席を読んだ。講釈師にもよるだろうが、私は、口演中に観客の表情をよく見ているタイプで、「退屈そうだな」「面白がって聞いているな」などと、聴衆の感情が手に取るようにわかってしまう。この日の客席で、特によく聞いて下さっていたのが、シンポジウムのパネリストで、元総務大臣・鳥取県知事の片山善博先生だった。終演後に、「あなたの前回の講談は、会報で拝見をしたけれど、やはり生で聞くと、迫力があってわかりやすいのが良いですね。」との感想を賜り、講釈師冥利に尽きる想いがした。

NHKラジオ深夜便で、「新島襄物語」をというお求めが。新島先生ゆかりの京都・大磯への訪問記は前号で書いた。上州安中藩江戸屋敷に生まれた新島襄の第二の故郷、群馬県安中市を訪ねたのは6月19日。アメリカ帰りの襄が両親と再会した旧宅に、帰国後初の講演会を開いた龍昌寺。祖父と弟の眠る妙高院に、安中市図書館郷土コーナーでは、膨大な新島襄関連資料から、講談作りに役立つ本を発見。醤油醸造の有田屋の湯浅家墓地には、後に同志社の校章をデザインした詩人・湯浅半月も眠る。兄の湯浅治郎は有田屋三代目当主で、店の向かいに、日本初の私立図書館・便覧舎を設けた。ここで新島襄から洗礼を受けた治郎は、安中教会設立に尽力。その安中教会の新島襄記念会堂では、日曜礼拝に飛び入り参加。聖書片手に賛美歌を初体験。教会員皆さんの親切に感激。朝日研一朗牧師にもご挨拶を。後日、朝日先生からの「そのうちお招きしますよ」との嬉しいお便りに発奮、深夜便の持ち時間は三十分だが、一時間超の長編講談が出来上がってしまった。

言葉には目に見えない力がある。人は、何気ない一言で、落ち込んだり、元気が出たり。その一言が、一講釈師の生きる糧にもなり得る。明治期の講談本を読むと、時代が経つにつれ、言葉づかいに大きな変化がある事がわかるが、人の心には、大きな変わりはない。現代にも通じる先人たちの心意気を、わかりやすく、面白く伝えたい。そして、講釈師である以前に、誰かを元気づける、心のこもった言葉の使い手でありたいと思っている。


田辺鶴遊(たなべかくゆう)

講談師。名古屋生まれの静岡育ち。芸能社経営の父のもと2才から芸能活動。昭和61年、浅草木馬亭にて東京初舞台。同年、フジテレビ「夕やけニャンニャン」木曜レギュラー。8才で田辺一鶴に師事、芸名「田辺チビ鶴」。東海大学大学院政治学研究科中退後、講談協会にて前座修業。平成21年、師匠没後に宝井琴梅門下。同27年、真打昇進し「田辺鶴遊」を襲名。昨年、芸能四十周年記念公演を木馬亭で開催

<出演予定>問い合わせは・・03-3681-9976(みのるプロ)

◎9月26日15時~「講談たっぷり会」2000円、デイナイト大手町(千代田区大手町2の2の2のB1F)、主任・宝井琴梅「平手の駆けつけ」、鶴遊演題「蜀山人」

◎9月28日昼「東京ニューヨーク寄席」江戸川区西小岩・武蔵湯、入場無料。

◎11月23日(祝)夜「田辺鶴遊講談会」木馬亭にて開催決定、詳細未定、予約受付中。